おめでとう。

2009年3月11日 音楽
Amazon.com essential recording
The essential New York rock band of the post-punk era, Sonic Youth care as much about the quasi-symphonic, microtonal art-guitar music of composers like Rhys Chatham and Glenn Branca as they do about the rock-song form, and with Daydream Nation, they struck their greatest balance between the two. The songs hover gorgeously for extended lengths, letting guitarists Thurston Moore and Lee Ranaldo intertwine fragile tonalities as carefully as it’s possible to do at wall-shaking volume, while Moore and bassist Kim Gordon’s untutored voices disaffectedly intone words that flirt with pop stupidity, high-art eloquence, and urban cool. When they bear down and rock, they do it with a blurry intensity that finds gorgeousness at the heart of discord. --Douglas Wolk



http://www.youtube.com/watch?v=tdeTQPgh9SE

いろいろ、タイミングのがすといいにくいよね。

すこし休んだら、ドラムのへたくそさがましてた。くそう。


風邪

2009年3月9日 日常 コメント (3)
かぜひいた。

体温計がない、って気づく。

仕事、明日は休みたくないなぁ。

とか思いつつ、セクシーボイス・アンド・ロボを見返してみたり。
ごぼ蔵の話は、なんどみても感動してしまう。

木皿泉はすごいや。
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「むかしむかし、静かないなかにちいさいおうちがたっていました。それは、ちいさいけれどとてもがんじょうにつくられた、強いおうちでした」
こうして始まるバージニア・リー・バートンの『The Little House』(邦題『ちいさいおうち』)は、1943年、カルデコット賞に輝いた不朽の名作だ。

ピンクのばら色をしたちいさいおうちは丘の上に建っている。りんごの花がつぼみをつけることで春の訪れを知り、初雪が舞うことで冬の到来を感じていた。だが、町の明かりが遠くに見えはじめたのをきっかけに、ちいさいおうちの周辺もどんどんと変わっていく。まず道ができ、そこに自動車やトラックが走りだし、整備されて道路となった。やがて道路はあちこちに延び、背の高い家やアパート、お店、車庫なども次々と完成、ちいさいおうちを取り囲んでいく。

とうとう住んでいた人たちも引っ越してしまい、ちいさいおうちは町の真ん中でひとりぼっち。人工的な町の照明は明るすぎて、もはや太陽も月もわからない。ちいさいおうちは思う。「月あかりの中、かがやく白いヒナゲシのお花畑やりんごの木々がもう1度見たい」と。

ぽつんと取り残され、町の中で窮屈そうにしている古ぼけたちいさいおうち。その姿に子どもたちは胸を痛めることだろう。だが、女の人が現れて、ちいさいおうちを田舎に移してやり、そこで幸せに暮らすという結末にほっとするに違いない。低年齢の読者は、あらすじや挿絵を追うのに夢中かもしれない。だが、本書は都市化の弊害をさりげなく子どもに伝えた、忘れられない作品である。


きょうは友達の結婚式に行ってきた。ともだちの上司が、スピーチのなかで、「ちいさいおうち」の内容に触れていてなんだか、とても印象にのこった。
結婚式には、小学校2年生に花束を渡す役をしてからずっと参加してないとおもう。
大人になってはじめてだった。

そんなわけで、なぜか緊張。

はなよめきれい。はなむこもすてきでした。
きっとつかれただろうなぁ、とおもうけど、結婚式も披露宴もほんとすごいよかった。
サーストンムーアみたいな牧師さんのカタコトの日本語も、なんだかかわいらしく。
(ぜったい、銭湯山っていってたよ、あれ。)映像もみてて、じーんときた。
いかんせん、アフロのときの写真がちょっとはずかしかった。

あんなふうに、みんなで友人を祝福できることはしあわせなことだとおもう。

帰りはバスに乗って舞浜に。そこで、よくわからないのだけど、今度結婚する人じゃんけんをして、本当はバスで帰ってくるつもりだったけど、新幹線で帰ってきた。深夜バスとか、もういやだ。たまたま、就活帰りの人と隣の席になって、いろいろ話した。

家に着いたら、2枚目の不在通知とバングラディッシュからの手紙が入ってた。

カメラがほしくなった。がんばっていいの買おう。

結婚、いいなぁ。でも、まず相手がいないとね。
友達にデータCDを4枚ももらった、タイトルみてにやついてしまう真夜中です。

いい一日だった。
朝、雨なのでバス。紺色の帽子をかぶった運転手の襟足が、野球少年のように刈られていてうれしい。スポーツ刈り太郎と名付ける。

左折、アンクルソックスに革靴履いた刈り太郎。

お昼、黒い飴をもらった。

帰り道、得たいのしれない幸福感で胸がいっぱいになる。
夜なのにうすあかるい六時。だれかに何かをしてもらうことを期待せずに、好意的な反応なんか期待せずに振舞えたらいいのになぁ、とおもうと、気持ちがすこしだけかるくなった

いえのなかをすこし掃除。床に散らばった本を平積みしてみたら37センチ。

ふーん、とかおもいながら冷蔵庫を開けて、適当にパスタつくって食べた。

エリオットスミスのSay Yesはすごいいい曲です。。
右腕に、フェルディナンドの刺青をいれたくなります。
(「はなのすきなうし」はとてもいい本です。)

もうこんな時間。明日は友達の結婚式です。
千葉に行くのです。たのしみ。
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写真というのは生きること。生きることの原点だと、著者は言う。写真は過去、現在、未来を1枚で見せる。一瞬のうちに消えていく時間に生を与え、それを自分の心のレンズで撮る。写真家アラーキーこと荒木経維にとって、写真とは生と死に対する愛、人生を生きることそのものなのである。

著者は1940年東京生まれ。電通マンを経て独立し、自ら「天才写真家」と称する個性豊かな写真家であり、その作品は海外からも高く評価されている。本書は、そのアラーキーが本音で語る写真の世界への旅のガイドブックである。どのレンズを選ぶのか、「あの写真」はどのカメラで撮ったのか。身近な人や街、仏像からヌード、愛するものをどう撮るか、発表するか。その写真術のすべてを、著者は惜しげもなく明かしてくれる。「レンジファインダー」「ヘキサーの35 ミリ」など専門用語も多数登場するが、欄外に細かく注釈があるので、長く写真を撮っている人にも写真をはじめたばかりの人にも役立つはずだ。

また、撮影に興味がない人には、著者の最新作や、随所に散りばめられた写真哲学やエッセンスに触れるだけでも著者の人生観を見ることができるので、エッセイとして楽しめる。「写真を撮るっていうのは簡単に言うと人づきあい」、「去り際のタイミング、ここが憎まれるか愛されるかの分かれ道。何かいい風を残していくということが問題なの」などの言葉には、著者の人生に対する熱く優しいまなざしと人間臭さが自然と伝わってくる。(増渕正明)

出版社/著者からの内容紹介
60歳を迎えてもなお、世界を舞台に大活躍する写真家・荒木経惟。その創造力と写真術の秘密を公開、写真の撮り方、楽しみ方の核心に迫ることができる異色の入門書。写真も満載!


ひさしぶりに図書館で本を借りて読んだ。なんだか最近、いい本に出会う確率が高い。
素晴らしき哉、読書。

一冊で、アラーキーのファンになった。たぶん、インタビューを文字に起こしたんだろうけど、写真への愛がにじみでてるような気がする
心から楽しんでるのが伝わってくる。いいなぁ、写真、やってみたい。

こんなふうに、夢中になれるものみつけられたらいいのになぁ。

卒研のときは、そんな感じだったとおもう。あと、音楽にずぶずぶはまってたとき。
一生懸命文章かいたときと、おととしと。

なんかもう、その行為に対する依存と満足と情熱やら愛がごちゃまぜになって、だからこそ、いくら時間を費やしても苦にならないっていう状態。

ドラムもペン字教室もたのしいけれど、やっぱり温度差がある。
仕事も好きだけど、すこし違う気がする。

でも、あんなふうに夢中になれる瞬間が永遠に続くようなことを望むのって、欲なのかも。
もっと淡々に、生活のなかに組み込まれて、それが自然になるといいのに。

それとも、時間ついやしていれば、夢中になれるようになってくるのかなぁ。
よくわからんわなぁ、そんなの。

アラーキーがうらやましい。やっぱこう、なんだろ、一生ささげられるような何かみつけられたら、とかおもいながらじいさんになんのっていやだなぁ。
なにかに人生ささげながら、じいさんになるのがいいなあ。
とか、中学生みたいですね、このだらだら文章。

友達の結婚式、受付を手伝うことになった。たのしみだけど、フアンフアンと書くと偽物パンダの名前みたい。なんだ、偽物パンダって。

そして、カバンがナイロンのものしか持っていないことをすっかり忘れていた。
結婚式にナイロンカバン。デザインにもよるだろうけど、ないなぁ。

でも、まぁ、いいや。
このアパートに住み始めて、ようやく一年がたった。一年前は、遠距離恋愛をしていたけれど、いまはしていなくて、一年前は、なにもなかった床には、物が散らばってる。脱いだままのシャツも、読んだままのカタチで伏せてある本も、未完成のルービックキューブも、ひとりには十分すぎるスペースをすこし埋めるくらいには、役に立ってる。

それでも、たまに考えるのは、ここにいなかったら、なにしてたんだろ、ってことで。
そんなこと考えてもわかるわけない、っていうところに、大抵、落ち着く。

たぶん、レンタルビデオ店で、アダルトビデオの返却でもしてたんじゃないかとおもう。

1年前、2年前の自分は、わかってないとおもう。1年前、2年前は、3年前、4年前の自分をわかってないなとおもってた。そんなのがずっと続くなら、すこしは何かを学んでることを意味しているような気もするけれど、逆に失っていくものもあるようにおもう。例えば、それを馬鹿なことだと、意味のないことだと思っていなかった自分は失うわけで、なにか、そういうものはすこしずつ磨り減っていくような気がする。

とかんとか、書いてたら、ねむくなってしまった。

別に、そんなものなくなってもいいや、めんどい。

おやすみなさい。
素敵な動画だとおもう

目が覚めて、電気がついてることが多い。
本を読んでいると、いつのまにか眠りについてる。

眼鏡をはずして寝れなかったとおもうとくやしいので、もう一度寝る。
そしたら、なんかいい夢だった。眼鏡かけてても、たまにはいいことあるね。

本は、義眼について書いてるところとかよかった。

仕事から帰宅。岡村くんの歌をききながら、風呂そうじ。しっくりくる。

ひとむかしまえのプレイボーイみたいで、というか、あれってもしかしたら、横山剣みたいにちょっとしたギャグ含んだ感じなのかもしれないけど、あんまりかっこいいと思ったことはなく、でも、不思議な魅力があるとおもう。ファンキーだし。

しかだんちかばんばん。って、いうとことか。なんか癖になる。
しかだんちかばんばん。って、何回も聴いてたら、あのタイミングでいっちゃうもの。

でも、お風呂場でスポンジもったまんま、しかだんちかばんばん、いった自分にきづくと、なんともいえない、はずかしい気分になります。


追記
ずいぶんゆるくなったようにおもう。つーか、あんこが食いてぇ。
あんまり甘すぎないやつ。あずきの味がするのがたべたい。

自分を正直な気持ちを、誰かを傷つけたりせずに、なるべくまっすぐに伝えられる人とか。
いいなぁ、っておもう。お金をたくさん持っている人より、うらやましい。

おかねがあるのもいいけどね。
リー・スクラッチペリーにダブ処理された、兎の鳴き声みたいな音で、喋ってた。

残酷じゃない、無関係なだけ。そんな宇宙人の夢。

におわなっとう。あのゼリーみたいなたれが好き。

中途半端に目が覚めて、煮たまご、食いたい。そんな午前3時。

海を見たい。
『バンディッツ』、おもしろいね、やっぱり。

http://www.gyao.jp/cinema/で観れます。

ケイト・ブランシェットが別人みたい。

今日は、ドラムのレッスン。
同じクラスに、新しく中学生が入った。

追い抜かれんようにがんばらねば。

きょうは、マットレスみてこようとおもったけどがまん。

ひさしぶりに古本屋へ。『片目を失って見えてきたもの』という本をみつけて立ち読み。

正直、書棚では、なんの期待もせずに好奇心だけで本を開いたのだけど、
いいことが書いてあって、買ってしまった。ピーコの本、表紙がかっこわるいけど。いい。

内容紹介
アンディモリ1st EP -Youth Records第一弾アーティスト Youth Records / 庄司信也とは? メンズクロージグレーベルミスターハリウッド立ち上げ参加。国内外のバンドグッズプロデュースやヴィジュアルプロデュースをはじめ、各エディトリアルでの連載執筆活動、TV番組、ラジオ出演に勤しむ。 YO-KING、銀杏BOYZ、エレファントカシマシ、曽我部恵一、strokesといったミュージシャン達との交流も深い。また、スタイリスト伊賀大介とのDJユニット「DJユース道」を結成。都内外の各イベントに多数出演。雑誌メンズノンノHP上で、2年半に渡る日々の日記を公開しており、1日1万件という驚異的なアクセス数を誇る。 2008年6月、念願であった音楽レーベル「Youth Records」を発足。その第一弾アーティストがこのandymoriである。

アーティストについて
2007年秋・西荻窪の「ハンサム食堂」で結成。吉祥寺を中心に都内各所でライブ活動を行う。
vocal & guitar 小山田壮平
bass 藤原ヒロシ
drum 後藤大樹



きょうはAndymoriのライブを見てきました。なぜか、他に3バンドいて、もうこれが恐ろしいくらい琴線にふれないチョイスばかりだったのだけど、30分程度のAndymoriのライブがたまらなくよかったあとにアルコール飲んだから、もうとてもいい気分です。
最早、お前の気分なんて知ったこっちゃねーよ、という声も聞こえません。レーベル設立者の紹介みたいな内容紹介も、どうでもいいくらいです。

そのあとは、愛だの恋だのばかり歌ってるバンドが出てきたので、後方へ。どっかで聴いたような音楽に合わせて左右に揺れたり前後に激しく動いたりするたくさんの手をみながら、ムーミンにでてくるニョロニョロみたいだなぁ、とおもいながら、みていたら、Andymoriのボーカルの人が横に。

えいや、と思い、話しかけたらいい人でした。音楽の話とかして、楽しかった(Libertinesが好きだって話を聴いて、「やっぱり!」って言ってしまいました。)ので、たまたま持ってた自分の好きな曲あつめた編集盤CDを、図々しくわたしてきました。
自分、基本、挙動不審キャラですが、社交的にがんばりました。(ようわからん告白ですね)

ベースの人にも声をかけました。握手してくれました。(ええ人や!)
あー、すごいよかった。

そして、話せなかったけど、あのドラムがたまらんです。

帰り道は、買ったCDを聴きながら地下鉄にゆられました。
リュックを背負いながら歌詞カードをながめるという、とても勤勉な二ノ宮金次郎スタイルです。

地下鉄を降りたあとは、ミニアルバム?EP?のほうを聴いていたのですが、
こっちのほうがすごいよかったです。なんつーかね、意味なく壁を蹴ったり、走ったりしたくなります。衝動というやつです。

まじでいいから、買ってください。このミニアルバム。
たぶん、意味なく壁蹴って、走りだしたくなります。
内容紹介
「めんどうくさいけど、いとおしい。」
「いろいろあるけど、一緒にいたい。」

“決して離れない”1組の夫婦の10年を描いた、珠玉のラブストーリー

★第32回山路ふみ子映画賞受賞
★報知映画賞 最優秀監督賞受賞
★第32回日本アカデミー賞主演女優賞受賞(木村多江)
★第23回高崎映画祭・最優秀作品賞 ・最優秀主演女優賞(木村多江)
★第51回ブルーリボン賞 ・主演女優賞(木村多江) ・新人賞(リリー・フランキー)
★毎日映画コンクール
・日本映画優秀賞・最優秀脚本賞(橋口亮輔)

◇世界中が待ち望んだ、橋口監督最新作
前作『ハッシュ!』(02)でカンヌ国際映画祭ほか、数々の映画賞受賞で話題となった橋口亮輔監督。
最新作は、1990年代初頭から21世紀にかけて実際に起きた様々な社会的事件を背景に盛り込みながら、一組の夫婦の時の流れを丁寧に紡いだ物語。
ささやかだけどいとおしい“夫婦の映画”の傑作が誕生した。
◇主演は木村多江×リリー・フランキー
几帳面であるがゆえに、少しずつ心を病んでいく妻・翔子を演じるのは木村多江。ひょうひょうと生きる法廷画家の夫・カナオ役に、本格的な映画主演に挑むリリー・フランキー。
時に寄り添い、時にぶつかり合う二人の姿は、観る人の心を大きく揺さぶる。
◇社会を反映した物語を彩る個性派キャストたち
夫婦の再生のドラマを描き出す一方で、その社会背景にも迫る本作。法廷シーンには加瀬亮、田辺誠一、光石研らが出演するほか、倍賞美津子、柄本明らのベテランや、
寺島進、八嶋智人ら個性派俳優が脇を固めている。

※2枚組(本編+特典ディスク1枚)
※アウターケース付き
【本編Disc】 142分+特典映像
○音声
・ オーディオコメンタリー:監督×リリー・フランキー×木村多江・ 視覚障害者対応日本語音声ガイド
○字幕
・ 聴覚障害者対応日本語字幕・ 英語字幕
○特典
特報/予告編/TVスポット/『ハッシュ!』予告編
【特典Disc】107分
○『ぐるりのこと。』メイキング
○『ぐるりのこと。』未公開映像集
○Akeboshi×映画『ぐるりのこと。』special
【封入特典】
○豪華ブックレット(80P)

●原作・脚本・編集・監督:橋口亮輔(『ハッシュ!』、『二十歳の微熱』)
●キャスト:木村多江、リリー・フランキー、倍賞美津子、寺島 進、安藤玉恵、八嶋智人、寺田農、柄本明 他
●制作:シグロ●配給:ビターズ・エンド●製作:シグロ/ビターズ・エンド/衛星劇場/アミューズソフトエンタテインメント/博報堂DYメディアパートナーズ
(C)2008 「ぐるりのこと」プロデューサーズ
※仕様・内容は変更する場合があります。

内容(「キネマ旬報社」データベースより)
『ハッシュ!』の橋口亮輔監督によるラブストーリー。90年代のさまざまな社会的事件を背景に、困難に直面しても離れずに生きていく夫婦の10年の軌跡を描く。映画初主演の木村多江とリリー・フランキーが共演。


派手なシーンはないのに、おもしろかったです。感動しました。
『ハッシュ!』の監督だって、観たあとに知りました。(『ハッシュ』もいい映画。)

言葉だけじゃなく、音や振る舞いを含めて、自分たちの気づかないところで、
それが誰かにとっての暴力として機能していることがあるとおもう。
本人がもし、そのことに気づいていたとしても、それがどれだけ相手を傷つけているのかを量るのはむずかしいこともあって、暴力の主体にはほとんど罪悪感を残さない。

その場合、「気づかないうちに傷つけてる」というのとは、すこし違うとおもう。
「思っているよりも傷つけていることに気づいていない」が正しいかもしれない。

普段、そんなふうに、大部分の人にとって「たいしたことない」で片付けられることについて、あれこれ言うことは、自分を貶めることはあっても、格上げすることは、ほとんどないとおもう。生活しているなかに存在する、何か嫌なこと、抑圧的な事柄、振る舞いには、誰かにわざわざ伝える必要のないレベルというのがあるのだ、それについて、そんなことにあれこれ言うくらいなら、もっと楽しいことをしたほうがいいからとか、いろいろ理由があるとおもう

でも、何も言わないから、誰も指摘しないからといって、そんなものこの世にないとは言い切れないわけで。

「ぐるりのこと」や「ハッシュ」をみておもったけれど、橋口監督はそういう細かい部分について、とても上手に描いているとおもう。そういうミクロの視点というか、細部に対する注意を払っているだけの映画はあって、そういう作品には、わりと退屈な作品がおおい気がするけれど、この作品は、そういう細部の丁寧な描写を積み重ねながら、10年という長いスパンでみたある夫婦の人生が、受け手の興味を失わないように組み立てられていて、演出面なんかも含めて、とても素晴らしいとおもう。

演技も脚本も、とてもよかったです。「おくりびと」と同じくらいよかったかも。
まじでオススメです。
今日は休みにしてもらった。カオス状態の部屋を掃除しなくては。

そして、Andymori、べらぼうにかっこいいです。

Follow Meとかもよかったよ。Libertinesとかおもいだしました。

アルバム、買いに行きたい!

追記
調べてみたら、名古屋に27日に来ること判明。
ワンマンじゃないけど、たのしみだ。

夜と霧

2009年2月23日 読書
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名著の新訳には、つねに大きな期待と幾分かの不安がつきまとう。訳者や版元の重圧も察するにあまりあるが、その緊張感と真摯さのためか、多くの場合成功を収めているように思われる。本書もまた、その列に加わるものであろう。

ユダヤ人精神分析学者がみずからのナチス強制収容所体験をつづった本書は、わが国でも1956年の初版以来、すでに古典として読みつがれている。著者は悪名高いアウシュビッツとその支所に収容されるが、想像も及ばぬ苛酷な環境を生き抜き、ついに解放される。家族は収容所で命を落とし、たった1人残されての生還だったという。

このような経験は、残念ながらあの時代と地域ではけっして珍しいものではない。収容所の体験記も、大戦後には数多く発表されている。その中にあって、なぜ本書が半世紀以上を経て、なお生命を保っているのだろうか。今回はじめて手にした読者は、深い詠嘆とともにその理由を感得するはずである。

著者は学者らしい観察眼で、極限におかれた人々の心理状態を分析する。なぜ監督官たちは人間を虫けらのように扱って平気でいられるのか、被収容者たちはどうやって精神の平衡を保ち、または崩壊させてゆくのか。こうした問いを突きつめてゆくうち、著者の思索は人間存在そのものにまで及ぶ。というよりも、むしろ人間を解き明かすために収容所という舞台を借りているとさえ思えるほど、その洞察は深遠にして哲学的である。「生きることからなにを期待するかではなく、……生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題」というような忘れがたい一節が、新しくみずみずしい日本語となって、随所に光をおびている。本書の読後感は一手記のそれではなく、すぐれた文学や哲学書のものであろう。

今回の底本には、旧版に比べてさまざまな変更点や相違が見られるという。それには1人の哲学者と彼を取り巻く世界の変化が反映されている。一度、双方を読み比べてみることをすすめたい。それだけの価値ある書物である。 (大滝浩太郎)

内容(「BOOK」データベースより)
心理学者、強制収容所を体験する―飾りのないこの原題から、永遠のロングセラーは生まれた。“人間とは何か”を描いた静かな書を、新訳・新編集でおくる。


「あなたの経験したことは、この世のどんな力も奪えない」って言葉が印象に残った。

あとすこしで読み終わる。

とてもいい本だとおもう。


渥美半島は遠い。

きょうは、仕事でヘマをやらかし、スーパーで買い物をし、花のついた枝を折っている人をみかけました。そら、ワシントンのお父さん、怒ってるわ、たぶん

修行僧としてもうすぐ、あと4ヶ月で一年をむかえます。
その日には、頭を剃り、座禅をくんでいうつもりです、もう修行僧なんてまっぴらです、と。

でも、昨日と今日が最悪の一日だったともいえないのです。
仕事がなければ、そこでヘマもできないし。伊良湖に行かなければ、きれいな景色をみることもできなかったからです。あぁ、そんなふうに書くと、うそくさい。
ですます口調がうそくさい。

そんなふうに考えていたら、ピンポンが鳴って、宅急便が届いた。
『夜と霧』という本。

もういいや。考えるのはやめた。

きょうは寝転がりながらこれを読んで寝ればいいや。
明日も仕事なのだ。

U2のこの曲が好きです。(現実逃避。)

歌詞の意味がわからないけど。

あなたがここにいてもいなくても、生きられない。
そんな演歌みたいな情緒に、たまらなくぐっときます。

きっとはなれたくても、離れられない人。離れられなくても、離れたい人。
そういう人に向けての曲なんじゃないかな、とおもうのです。

With or without you
With or without you
I cant live
With or without you

のあとに

And you give yourself away
And you give yourself away
And you give
And you give
And you give yourself away

なのです。

With or Without youとうたっている人のすこし自己中心的な優柔不断男の葛藤とは別に、And you give yourself awayがつづくところに、この詞の主体の罪悪感がみえるというか。

ここはきっと、「離れたくても、離れられない」ような、どっちつかずの感情を抱いてるのに、「あなたはすべてを捧げてくれる」。なんじゃないかなぁ。とおもうのです。
すこし大げさな感じもしないでもないけど、そんなふうに、なよなよした演歌っぽい気持ちを歌ってるはずなのに、大きく素直な気持ちをただまっすぐ歌ってるように感じられるのがいいとおもう。

前半は、好きな人の心変わりを待っている印象がのこるから、
もしかしたら、全然間違っているかも。
でも、色んな解釈ができるからいいんだろうなぁ、とおもいます。

仕事で行ったけれど、渥美半島の伊良湖はとてもきれいなところです。おすすめ

Neon Worms
Neon Worms
Neon Worms
明治中期にブラジルから、はじめてサルビアを持ち帰ってきた人には好きな人がいて、はじめは彼女にみせたかっただけなのです、その熱帯の赤い花を。

という出鱈目。

あと一日。今週はたまたま、週末も仕事があるけど...

R1グランプリの人のネタ、おもしろいね。

そして、送電線と鉄塔、ってかっこいい。

春眠暁を覚えず。春が近いせいか、朝が眠いです。
いや、年がら年中、朝は眠いか。

そんなこんなでTrue Sleeperというマットが最近、気になります
この映画、みたいです。
是枝さんの作品はあんまりみたことないけど、ぺ・ドゥナがすきだし。
業田さんの原作も読んでみたい。

きょうは、ちいさなおっさんについて考えていた。
世の中には、ちいさなおっさん、という妖精がいるらしいのです。

ネットで「ちいさなおっさん」で検索してみると、けっこう目撃談が。
ほんとうにいるのでしょうか、ちいさなおっさん。

とまぁ、1行につきひとつ、「ちいさなおっさん」という言葉をふくんでみると、
文章がくどくなります。なんだか、おっさんなのにかわいいらしいのです。
そら、かわいいおっさんだっているさ!

今日は大根がやすかった。一本100円だったのです
こんぶだしで煮て食らう、田楽みそさまと。

だいこん、おいしいよ、ちいさいおっさん。

おひるごはん、つくったぞ、このやろう。
レタスとハムのサンドイッチ。

よるは、ちょっと勉強とドラム練。
明日も期待はせずに、がんばれるといいな。


これ、なんだろ、すごい。
個人的には、1分42秒あたりが。

自然のなかを歩いたせいか、今日は寝不足なのにすこぶる調子がよかった。

クリームブリュレを職場に持っていて、3人でたべた。
おいしかったけど、びびって、ちょっと火いれすぎたらしく、
なめらかプリンよりすこし固いかんじだった。

帰ってきて、お風呂掃除して、勉強して、料理して、読書。ドラムの練習。
きのうはあんなにあたたかかったのに、外がべらぼうにさむい。とてもさむい。

それにしても、お風呂そうじを楽しくやる方法はないもんだろうか。
こう、お風呂そうじがしたくてしたくてたまらなくなるような何か。

うたいながらしても、なんだかしっくりこない。
ラジオききながらしても、なんだかしっくりこない

あれだ、たぶん、風呂そうじに足りないのは、エンターテインメント性とやりがいだ。
もっとこう、みがけばみがくほど楽しくなるようなしかけがあればいいのだ。
壁やバスタブがスクラッチみたいになっていて、みがくと、すてきな商品があたるとか。
たぶん、夢中になってみがくとおもう。目指せ!一等・トルコ旅行。

でも、みがいてんのにスクラッチみたいに剥がれてくるなら、きれいにしてるんだか、よごしてるんだか、ようわからんくなるね。もっといい方法ないもんだろか。

残念ながら、おっさんにはわかりません。
求む!ラヂカル風呂そうじ!

明日こそ、昼ごはんを作っていくぞ、このやろう。

さくらもち

2009年2月15日 日常
さくらもち
さくらもち
さくらもち
9時に目が覚めた。うだうだ空気の充満した部屋で、うだうだする。
うだうだしたら気が済んだので、ちょっと勉強。読書。

きょうも天気がよかったので、散歩することにした。
茶屋ヶ坂、自由が丘のあたりを、歩く。
鍋屋上野浄水場の円周に沿って、すこし。

おもっていたよりも、ダイナミックな景色で、よかった。道路、錆びた反射鏡が坂。
柵の向こうに行きたい気持ちをおさえて、あるいたら、噴水のある小さな公園で、カップルがいちゃいちゃしてた。うごうごるーが。

歩道橋を渡り、天満緑道で梅のはなをみつけた。激写。
激写してたら、犬をつれたおっさんにじろじろみられた。
(これ桜?じゃないよね。)

ついでに上野天満宮によって、お参りしてきた。この前の散歩でも、ジンジャにいったので、今月5つくらいは、神社をまわっております。ということで、脳みそのなかの神社分子がNo More Shrine!状態になるかとおもったのだけど、そんなこともなく、ゆるゆる参拝。

音楽お守りなるものをみつけて、おかねと交換。

なんだかよくわからないけど、道行く人が牛の銅像をぺたぺたとなでていたので、真似してなでてきた。きっといいことがあるのでしょう、ヨーグルトがやすくかえたりとか、家に帰ったら、ハイジみたいな部屋になってるとか。クララの足がなおったりとか。いろいろだよ、じんせいは。

そっから、平和公園へ。いく途中で、まよった。
平和へのみちのりはとおいのです。

途中、若い夫婦が小さい男の子をだっこしながら、歩いていた。
なぜか泣いていたので、どうしてだろう、とおもったら、足元に靴が落ちていて、
もしかして...と思ってひろったら、ぴったり泣き止んだ。

無駄に泣いてたわけじゃないんだね。
持って帰っても仕方ないので、追いついて、わたしてあげた。
ちょっといいことした気がした。

着いたころには、平和公園の展望台がもう閉まるころで、ぎりぎりセーフだった。
展望台には人がいなくて、景色だけがあって、なんだか貸切にしてるみたいで、よかった。

そっから、猫ヶ洞池まであるいた。
いい名前や、とプロゴルファー猿みたいな口調で脳内音声ながれる。

たまには、自然のあるところを散歩するのもいいね。

そっからは、矢場町のパルコでCDをきいて、オルタナのディスクガイド発見して脱出。
名駅で立ち読みして、バニラビーンズを買った後、ナイスな青年とラーメン食いに行った。
本郷亭だった。また、ラーメン食らおうぜい、と固く誓う。らーめん。

家に帰ってきて、クリームブリュレをつくって日記かいてたらこんなおそくになってしまった。時期的に、すこしおくれたけど、事務所に持っていくのだ。

はじめてつくった。おいしいといいな

追記
きれいな柄の硝子のタンブラーをみて、もっとああいうのを見てみたくなった。
たくさん置いてある店、近くにあるといいんだけど。さくらもちうまい!
きょうはドラムのレッスンの日だった。
部屋を掃除して、勉強して家を出るつもりだったけれど、
音楽を聴きながらへらへらと踊っていると、なにもかもすすまない。
BeatlesのTaxmanを聴けば、うたいおどりながら、掃除ができます。
いや、うたいおどることができるといったほうがいいでしょう。

掃除をする人+Taxman=掃除機を持った、ただのうかれぽんち

レッスン前に個人錬したかったのに、スタジオ空いておらず家でパッドを叩く。

レッスンは、ちょっとおくれてスタートした。
15分またされると文句いいたくなるがガマン。
前のグループは3人で、自分はたまたま一人なのだ。

宿題をこなして、宿題をもらう。ハイハット、もっといい音出せるようになりたい。
Crosstown Trafficは楽しい。こっちも、宿題をもらってかえってきた。
ところてん、まで。

そっから、はじめて鶴舞中央図書館に行った。名古屋は図書館にお金をかけない方針なんだとおもう。インフラもよくないし、サービスもあまりよくない。とおもう。というのはわがままなのかもしれないけど、まだ、人口6000人の地元の図書館のほうが、清潔感もあって、対応も気持ちいいとおもう。

レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』を書庫から出してもらって読んだ。
60ページに満たない、うすい本で、レイチェルカーソンが「沈黙の春」を書いた後、ガンで死ぬ前に書いた本?らしい。ちがったかな。

とてもいい本です。おすすめ。

それから、新栄町まで行って、クラブ・ロックンロールの場所をつきとめたあと、
ライブまで時間があったので、コメダで本を読みながらコーヒーを飲んだ。
『生物と無生物のあいだ』という本を、昨晩、新幹線に乗る前に買ってからすこしづつ読み進めているのだけど、すごいおもしろいです。とても売れた本なので、きっと有名だとおもう。

そのあとは、StanとMudy on The 昨晩のライブをみた。
クラブロックンロールは、とてもちいさい。

Mudy on The 昨晩は、インストだけど、おっ、ておもう瞬間がけっこうあって、よかった。
でも、歌がほしい。

Stanもはじめてみた。味仙にいきたくなった。(味仙の話をしたのも Mudyのほうの人かも。)
ライブが終わって、ドリンクチケットの交換がまだだったので、ジンジャエール(辛口)というのを選んだら、ほんとうに辛口だった。喉にぴりぴりと、しょうが味が。あれは、ジンジャーエールじゃありません、生姜炭酸汁です
もう、うしろに(辛口)がついたジンジャエールはのみません。アーメン。


帰りは、地下鉄。自転車。デトロイトメタルシティの新刊を買って、味仙で台湾ラーメンを食べて帰ってきた。台湾ラーメン、はじめて食べたけど、辛すぎ。すごいおいしいわけじゃないけれど、やみつきになりそうな味。

最近、一人暮らしが身にしみます。調子のいいときは、もう仕方ないし、ひとりでもいいや、っておもうのだけど、調子のよろしくないときは、全然仕方なくないので、だれかお嫁さんになってください。という気分になります。

たぶん、けっこう大事にするので、この際、嫁になってください。

ってなにをアピールしてんだ俺。この際、って、どの際だ。
深夜に書いた日記は、はずかしいテンションです。だからいいのです(ひらきなおり)

肉を食え、もっと。野性味がたらんのだ、きっと。

うおー、ジャングル。(野性味)

いつも適当でごめんなさい。

おはよう

2009年2月14日 日常
こんにちは。

なつかしかった。すごい映像センスです。
http://www.youtube.com/watch?v=YJ2G87LOz-I&

聖闘士星矢のゴールドセイント・牡牛座のアルデバランを彷彿とさせます。

ぐれーとほーん。


目が覚めると照明がついたままだった。

脱ぎ散らかした服やハンガーに混じって、本が読んだままのかたちで散乱してる。

部屋、掃除しよう。天気がいい。

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