小休止5
2008年7月6日なんか文章を書こうとおもったのに寝てもうた。
ハチクロ読んで、ムーンリバー聴いた。
脳みその揺さぶられるような体験じゃないけど、胸からじわじわと広がる何かにゆさぶられる。
ドラム、習ってみることにした。
一日目、スティックの持ち方から習う。
今月は8ビートの練習なのだそうだ。
なんか、あ、っという間だった。
もしかしたら続けられるかもしれない。
ハチクロ読んで、ムーンリバー聴いた。
脳みその揺さぶられるような体験じゃないけど、胸からじわじわと広がる何かにゆさぶられる。
ドラム、習ってみることにした。
一日目、スティックの持ち方から習う。
今月は8ビートの練習なのだそうだ。
なんか、あ、っという間だった。
もしかしたら続けられるかもしれない。
ここにはいない
2008年7月4日うそだよ。
この前、彼女のお母さんが死んだ。彼女は、そのことについてベッドでこう表現してくれた。「胸毛をむしる思い」だって。彼女によると、それはもう、強制されて無理やりむしらされるような思いらしい。
それって悲しいんだろうか。すくなくとも彼女の胸にはむしるような毛がない。
彼女は、レシートの整理をしながら泣いたり、テレビのリモコンをにぎりしめて泣いたり、苺ヨーグルトをプラスチックのスプーンですくったまんま、手を止めて泣いたりする。そんなときはやっぱり、彼女がカーペットの上に、ヨーグルトをこぼさないか心配になる。
「あのさ、泣いてもいいけど、ヨーグルトこぼさないでね。
そのカーペット、この前、買ったばっかだしさ」
返事をしないのも愛嬌のひとつだ、と思う
午前中、きれいな曲線を描いて目蓋の縁にのせられた黒いアイラインは、午後になると、涙で縒れていた。西から射す光で影を背負いながら、小刻みに震える頬をこちらに向けて、小さな唇で透明なスプーンをほおばる。背中を丸めたままの彼女がみつめるテレビの中では、フリーキックで点を決めた選手が、うねるように沸き立つファンの歓声と興奮を背景に うれしそうな顔でグラウンドを走っていた。
「どこかに行こう」
「行きたくない、雨が降ってるし。」
「そうだね、家の中がいい。」
この前、彼女のお母さんが死んだ。彼女は、そのことについてベッドでこう表現してくれた。「胸毛をむしる思い」だって。彼女によると、それはもう、強制されて無理やりむしらされるような思いらしい。
それって悲しいんだろうか。すくなくとも彼女の胸にはむしるような毛がない。
彼女は、レシートの整理をしながら泣いたり、テレビのリモコンをにぎりしめて泣いたり、苺ヨーグルトをプラスチックのスプーンですくったまんま、手を止めて泣いたりする。そんなときはやっぱり、彼女がカーペットの上に、ヨーグルトをこぼさないか心配になる。
「あのさ、泣いてもいいけど、ヨーグルトこぼさないでね。
そのカーペット、この前、買ったばっかだしさ」
返事をしないのも愛嬌のひとつだ、と思う
午前中、きれいな曲線を描いて目蓋の縁にのせられた黒いアイラインは、午後になると、涙で縒れていた。西から射す光で影を背負いながら、小刻みに震える頬をこちらに向けて、小さな唇で透明なスプーンをほおばる。背中を丸めたままの彼女がみつめるテレビの中では、フリーキックで点を決めた選手が、うねるように沸き立つファンの歓声と興奮を背景に うれしそうな顔でグラウンドを走っていた。
「どこかに行こう」
「行きたくない、雨が降ってるし。」
「そうだね、家の中がいい。」
それほどぼくはきみのことを夢にみた
それほどぼくは歩き
それほどぼくは話し
それほどぼくは君の影を愛した
もうきみについては
なんにもぼくにのこってないくらいに
あとはただぼくが
たくさんの影のなかの
影となるばかりだ
影の百倍も影となるばかりだ
この影は立ちかえり
また立ちかえることだろう
日に照らされた
きみの生活の中に
『最後の詩』 ロベール・デスノス
軽トラックにて
2008年7月3日6月の終わりに、彼女に会ってきた。
前日の夜、名古屋から旭川に戻ってきた。前のバイト先におみやげを持って行くと、接客中だった彼女に抱きつかれた。駐車場に、旭川駅まで母親と迎えに来てくれていた留学生が待っていたから、淡白に離れる。仕事中だし。
「手羽さきせんべい」の18枚入りを休憩室に置いてきて、なんだかさわやかに会話をし脱出。店をでるとき、彼女はぷんぷんしてた。
夜、実家に着いてから、留学生にキティちゃんのストラップを渡して、インターネットでレシピを調べて、買い物に出かけた。
10時半だったとおもう。11時まで開いてるスーパーまで30分、母親が運転してくれて、カンヅメと、ラム酒と、あと、何かを買った。
外にでると、むらさき色した髪の毛のおばさんが犬とじゃれあっていて、息子くらいのわかい青年が一緒にわらっていた。
家に着いて、「こんなことしても、たぶん、わかれるんだろうな」とか思いながら、洋梨のシャーベットをつくった。3時まで、冷やし固めたり、くだいたり。つかれているはずなのに、ねむくなかった。
7時に目が覚めて、彼女の家に行った。
名古屋から送ってあった彼女のスーパーファミコンやマンガは、やっぱり持っていくことができなくて、プレゼントとシャーベットとおみやげだけ持って行くことにした。
朝9時、彼女の家に行くと、彼女のお母さんが玄関を開けてくれて、きしめんをうれしそうに受け取って、「昨日は、6時まで働いていたみたいだよ」といった。
「そっか」とか思いながら、二階にあがって、寝てる彼女のそばで横になった。彼女は12時までおきなかったけど、全然、ねむれなかった。
あんま、楽しみにしてなかったんだろうなぁ、とか黒田硫黄の「茄子」の3巻とかおもいだして、まぁ、つかれてんだろうなぁ。とかおもいながら、目をつぶる。
うららうらら。
起きた彼女に、プレゼントを渡した。彼女の好きなバンドが表紙の雑誌とか特集とか、おばさんにもらった「ミッキーとミニーのストラップ」とか、指輪とか指輪の箱とか。
プロポーズみたいなこと、しようとしてたのに怖気づいていえず。
指輪は、誕生日プレゼントとして渡した。
だって、もらってもらえなかったら最悪だもの。
といいつつ、ぐだぐだに渡す。エレガントの対極で、がけっぷちに立ってる自分をみる。なにやってんだか。
デートは海に行く予定だったけど、お花畑になった。
いろいろ、気持ちとか問い詰めて辟易させる。
やることなすこと、空回り。喋るな俺、とか自制する脳みその静止聞かず、はみだす非モテ男的言説。そして、助手席で寝る彼女。
仕方ないよね、つかれているもの。とぐっとこらえる。
レストランを予約してた時間まで1時間あったので彼女の家にいった。
帰ってきて、また寝だした彼女。
あぁ、仕方ないよね。とかおもいつつも怒りがおさえきれず、
起きた時に責めてしまった。
自分だったらどういう気持ちになる?って。
たしかに、相手が仕事でつかれているかもしれないけど、自分が1々月前から一生懸命、準備してきて、すごい楽しみにして飛行機にのってきて、一緒に過ごせる時間が、1日もないのに、相手がずっとねてたらどんな気持ち?って。
彼女は「しかたないっておもうよ」って言ったから、
僕は「そっか、しかたないよね」っていった。
ふざけんな、っておもいながら。
レストランまで行く道で、また気持ちといつめるような真似して、
辟易させる。嫌われるより、待ってるほうがずっとマシだ、っていったら、そんなこと言ってないじゃん、って言われて泣きそうになる。つーか、涙でた。
完璧恋愛依存だ。
夜は中華料理。彼女がえびが嫌いだったから、コースの一部を変えてくれませんかといったら、ホタテになった。
ホタテもきらいだけど、それでいいです、って彼女が言って。
あらかじめ調べておけばよかった、とおもった。
料理は、はじめのふたつがおいしくなかったけど、あとはまぁまぁだった。最後の食事になるんだろうなぁ、とか思いながら、彼女の頼んだジンジャエールの氷がとけていくのをみたり、おいしいねとか、顔をみあわせながら無言でたべたりして、たのしんだ。
彼女の家に戻ってきて、また寝だした彼女に我慢できなくて、
彼女のお母さんがみていた韓国ドラマを一緒にみようとおもって、
一階に降りた。
「どうしたの」ってきかれたから、「寝ていたので、僕もドラマをみようかなぁとおもって」といったら韓国ドラマをとめて、
話をきいてくれた。
それから2時間、いろんな話をきいた。
彼女の高校のときの話や、1970年代の昔話、
大切な人が死んだときの話や、葬式の話。
すごく興味深い話だった。6月28日、いちばんたのしかったのは、あの瞬間だったかもしれないくらい。なんだか、自分が有意義な時間を過ごしているような気がした。
夜の11時45分に帰ることになっていたけど、彼女が起きたのは11時
30分だった。階下に降りてきた彼女に、僕は「おはよう」っていったけど、無視されて、二階に行っても無視されて、「もういいや」っておもって、「ありがとう、また気持ちかわったら連絡してよ」っていって、出ようとしたけど、引き留められるのをどこかで期待していて、そんなふうにしてたら「話も聞かないの」って、いらだちと困惑をふくんだ目でみられて、床にすわった。
それから、彼女と話し合った。
すれちがっていた気持ちが、すこし重なりあって、
それでも、自分が必要とされていないのは、一目瞭然で、手をつなげない気持ち告白されて、そうだろうなぁっておもう
「とりあえず待つ」っていう自分は、「待ってもどうしようもないかも」って言われて、「それでもいいや」って言ったら、「待ってた時間、意味ないじゃん」っていわれた。
だから、ぼくは、「甲子園に行けなかった高校球児の3年間が意味ないなんておもわない」て話をしたら、高校球児は失うものないじゃん、っていわれたから、「青春時代は失くすよ」って話をした。
彼女の家をはなれるとき、ぼくらはまるで恋人みたいにわかれた。
とかなんとか、書いてみたけど。軽トラと関係ないやん。
きょうは、いも焼酎を買ってみた。のんでみようとおもう。
あんま気負いしすぎな気がする。でも、なんか、ほっといたら別れそうで、いろいろ働きかけちゃうのだ。
とおもって、彼女のことばっかであたまがいっぱいなので、新しいことをはじめようとおもった。
自己満足かもしれないけど、自分が意味があると思えればいいや。
でも、「茄子」の3巻みたいなのでもいいから、一緒にいれたらいいのになぁ。とおもう。あんなのでも、ハッピーエンドなのかもしれないとおもう今日この頃。
前日の夜、名古屋から旭川に戻ってきた。前のバイト先におみやげを持って行くと、接客中だった彼女に抱きつかれた。駐車場に、旭川駅まで母親と迎えに来てくれていた留学生が待っていたから、淡白に離れる。仕事中だし。
「手羽さきせんべい」の18枚入りを休憩室に置いてきて、なんだかさわやかに会話をし脱出。店をでるとき、彼女はぷんぷんしてた。
夜、実家に着いてから、留学生にキティちゃんのストラップを渡して、インターネットでレシピを調べて、買い物に出かけた。
10時半だったとおもう。11時まで開いてるスーパーまで30分、母親が運転してくれて、カンヅメと、ラム酒と、あと、何かを買った。
外にでると、むらさき色した髪の毛のおばさんが犬とじゃれあっていて、息子くらいのわかい青年が一緒にわらっていた。
家に着いて、「こんなことしても、たぶん、わかれるんだろうな」とか思いながら、洋梨のシャーベットをつくった。3時まで、冷やし固めたり、くだいたり。つかれているはずなのに、ねむくなかった。
7時に目が覚めて、彼女の家に行った。
名古屋から送ってあった彼女のスーパーファミコンやマンガは、やっぱり持っていくことができなくて、プレゼントとシャーベットとおみやげだけ持って行くことにした。
朝9時、彼女の家に行くと、彼女のお母さんが玄関を開けてくれて、きしめんをうれしそうに受け取って、「昨日は、6時まで働いていたみたいだよ」といった。
「そっか」とか思いながら、二階にあがって、寝てる彼女のそばで横になった。彼女は12時までおきなかったけど、全然、ねむれなかった。
あんま、楽しみにしてなかったんだろうなぁ、とか黒田硫黄の「茄子」の3巻とかおもいだして、まぁ、つかれてんだろうなぁ。とかおもいながら、目をつぶる。
うららうらら。
起きた彼女に、プレゼントを渡した。彼女の好きなバンドが表紙の雑誌とか特集とか、おばさんにもらった「ミッキーとミニーのストラップ」とか、指輪とか指輪の箱とか。
プロポーズみたいなこと、しようとしてたのに怖気づいていえず。
指輪は、誕生日プレゼントとして渡した。
だって、もらってもらえなかったら最悪だもの。
といいつつ、ぐだぐだに渡す。エレガントの対極で、がけっぷちに立ってる自分をみる。なにやってんだか。
デートは海に行く予定だったけど、お花畑になった。
いろいろ、気持ちとか問い詰めて辟易させる。
やることなすこと、空回り。喋るな俺、とか自制する脳みその静止聞かず、はみだす非モテ男的言説。そして、助手席で寝る彼女。
仕方ないよね、つかれているもの。とぐっとこらえる。
レストランを予約してた時間まで1時間あったので彼女の家にいった。
帰ってきて、また寝だした彼女。
あぁ、仕方ないよね。とかおもいつつも怒りがおさえきれず、
起きた時に責めてしまった。
自分だったらどういう気持ちになる?って。
たしかに、相手が仕事でつかれているかもしれないけど、自分が1々月前から一生懸命、準備してきて、すごい楽しみにして飛行機にのってきて、一緒に過ごせる時間が、1日もないのに、相手がずっとねてたらどんな気持ち?って。
彼女は「しかたないっておもうよ」って言ったから、
僕は「そっか、しかたないよね」っていった。
ふざけんな、っておもいながら。
レストランまで行く道で、また気持ちといつめるような真似して、
辟易させる。嫌われるより、待ってるほうがずっとマシだ、っていったら、そんなこと言ってないじゃん、って言われて泣きそうになる。つーか、涙でた。
完璧恋愛依存だ。
夜は中華料理。彼女がえびが嫌いだったから、コースの一部を変えてくれませんかといったら、ホタテになった。
ホタテもきらいだけど、それでいいです、って彼女が言って。
あらかじめ調べておけばよかった、とおもった。
料理は、はじめのふたつがおいしくなかったけど、あとはまぁまぁだった。最後の食事になるんだろうなぁ、とか思いながら、彼女の頼んだジンジャエールの氷がとけていくのをみたり、おいしいねとか、顔をみあわせながら無言でたべたりして、たのしんだ。
彼女の家に戻ってきて、また寝だした彼女に我慢できなくて、
彼女のお母さんがみていた韓国ドラマを一緒にみようとおもって、
一階に降りた。
「どうしたの」ってきかれたから、「寝ていたので、僕もドラマをみようかなぁとおもって」といったら韓国ドラマをとめて、
話をきいてくれた。
それから2時間、いろんな話をきいた。
彼女の高校のときの話や、1970年代の昔話、
大切な人が死んだときの話や、葬式の話。
すごく興味深い話だった。6月28日、いちばんたのしかったのは、あの瞬間だったかもしれないくらい。なんだか、自分が有意義な時間を過ごしているような気がした。
夜の11時45分に帰ることになっていたけど、彼女が起きたのは11時
30分だった。階下に降りてきた彼女に、僕は「おはよう」っていったけど、無視されて、二階に行っても無視されて、「もういいや」っておもって、「ありがとう、また気持ちかわったら連絡してよ」っていって、出ようとしたけど、引き留められるのをどこかで期待していて、そんなふうにしてたら「話も聞かないの」って、いらだちと困惑をふくんだ目でみられて、床にすわった。
それから、彼女と話し合った。
すれちがっていた気持ちが、すこし重なりあって、
それでも、自分が必要とされていないのは、一目瞭然で、手をつなげない気持ち告白されて、そうだろうなぁっておもう
「とりあえず待つ」っていう自分は、「待ってもどうしようもないかも」って言われて、「それでもいいや」って言ったら、「待ってた時間、意味ないじゃん」っていわれた。
だから、ぼくは、「甲子園に行けなかった高校球児の3年間が意味ないなんておもわない」て話をしたら、高校球児は失うものないじゃん、っていわれたから、「青春時代は失くすよ」って話をした。
彼女の家をはなれるとき、ぼくらはまるで恋人みたいにわかれた。
とかなんとか、書いてみたけど。軽トラと関係ないやん。
きょうは、いも焼酎を買ってみた。のんでみようとおもう。
あんま気負いしすぎな気がする。でも、なんか、ほっといたら別れそうで、いろいろ働きかけちゃうのだ。
とおもって、彼女のことばっかであたまがいっぱいなので、新しいことをはじめようとおもった。
自己満足かもしれないけど、自分が意味があると思えればいいや。
でも、「茄子」の3巻みたいなのでもいいから、一緒にいれたらいいのになぁ。とおもう。あんなのでも、ハッピーエンドなのかもしれないとおもう今日この頃。
小休止4
2008年6月19日明日から青年の家なのだ。
がんばらねば。
Eastern Youth「踵鳴る」
http://jp.youtube.com/watch?v=ZrgjZzuvU8c
決してかっこよくないところが、かっこよい。
こんな一生懸命の人、馬鹿にするやつがいたら、がっかりするね。
真剣に向き合える何かを見つけたい。古いとか新しいとかはどうでもいい。
誰かのためでもなく、自分のためでもなく、日常の平坦を鋭角に歪ませるような快楽主義も、平坦な起伏をあえて鈍角にするようなストイシズムも丸呑みするようなブラックホールで、背骨なんか重くて、ただ口の端、歪ませて笑って、「悲しみ」とかじゃなく、午後7時にびっこたっこの靴下に気づいた時の得たいのしれない気持ちとか、午前7時のニュースで涙がでて、シリアルに視線を移す間の10分の一秒間とか、そういうの、なんか感じながら、すこしでも自分ではない誰かのことおもったりしたい。
ひさしぶりにコンタクトを買ってきた。
人生ではじめて髪を染めてみた。
白髪染めだけど。地毛と変わらない色で、すこしよい感じ。
高校生のときとかみたいに、眉毛とか抜いて整えてみた。
これまた、ちょっとよさげ。(自画自賛)
おっさんぶりがすこし抜けた気が、しないでもない。
29日はプロポーズしないことにした。バイト先の人手不足と、彼氏の期待に板ばさみな彼女には「こっちに来なくていい」し「来てもいい」ってことを伝えるのだ。
いつだっていいのだ、むしろ彼女が来なきゃいけない理由なんて最初からないんだから。8ヶ月間でも一緒に働けた職場を見捨てて、こっち来いなんていえるわけない。俺の気持ちより切実な状況だとおもう。
なんなら、地元に帰ってもいいくらい。たぶん、彼女は反対するだろうけど。
今の職場では欲をいえば死ぬまで働きたいから、地元に帰るとしても、せめて3年は働きたい。
その間に、心がわりをしてもいい。
彼女が来る事が実現したらうれしいけど、待ってるわけじゃなくて、なにも期待してなくて、っておもうくらいでがんばりたいなぁ、とおもう。
がんばらねば。
Eastern Youth「踵鳴る」
http://jp.youtube.com/watch?v=ZrgjZzuvU8c
決してかっこよくないところが、かっこよい。
こんな一生懸命の人、馬鹿にするやつがいたら、がっかりするね。
真剣に向き合える何かを見つけたい。古いとか新しいとかはどうでもいい。
誰かのためでもなく、自分のためでもなく、日常の平坦を鋭角に歪ませるような快楽主義も、平坦な起伏をあえて鈍角にするようなストイシズムも丸呑みするようなブラックホールで、背骨なんか重くて、ただ口の端、歪ませて笑って、「悲しみ」とかじゃなく、午後7時にびっこたっこの靴下に気づいた時の得たいのしれない気持ちとか、午前7時のニュースで涙がでて、シリアルに視線を移す間の10分の一秒間とか、そういうの、なんか感じながら、すこしでも自分ではない誰かのことおもったりしたい。
ひさしぶりにコンタクトを買ってきた。
人生ではじめて髪を染めてみた。
白髪染めだけど。地毛と変わらない色で、すこしよい感じ。
高校生のときとかみたいに、眉毛とか抜いて整えてみた。
これまた、ちょっとよさげ。(自画自賛)
おっさんぶりがすこし抜けた気が、しないでもない。
29日はプロポーズしないことにした。バイト先の人手不足と、彼氏の期待に板ばさみな彼女には「こっちに来なくていい」し「来てもいい」ってことを伝えるのだ。
いつだっていいのだ、むしろ彼女が来なきゃいけない理由なんて最初からないんだから。8ヶ月間でも一緒に働けた職場を見捨てて、こっち来いなんていえるわけない。俺の気持ちより切実な状況だとおもう。
なんなら、地元に帰ってもいいくらい。たぶん、彼女は反対するだろうけど。
今の職場では欲をいえば死ぬまで働きたいから、地元に帰るとしても、せめて3年は働きたい。
その間に、心がわりをしてもいい。
彼女が来る事が実現したらうれしいけど、待ってるわけじゃなくて、なにも期待してなくて、っておもうくらいでがんばりたいなぁ、とおもう。
小休止3
2008年6月18日冷蔵庫に入った桃缶、それに安心した夜。
喉を切ったら溢れそうなもんなんて、ねぇ。
赤ん坊ほどに響かない叫び声でも空気ゆれて
溜息と溜息の間で膨らんだ肺と、まだつめたいシロップ。
追記
Eastern Youthのライブが見てみたい。
6月に来てたんだね。
誕生日プレゼントに白いバラを送ることにした。
前に彼女が、「もらってみたい」って言ってたから。
その話、聞いたときは「なんかはずかしいし、ださいし、ちょっときついな」とおもったけど、出来ることはやりたいのだ。
「なるべく重たい感じにならないようにして下さい」と花屋さんに頼んだら、重量のことだと勘違いしたみたいだったので「いや、印象のほうです」と訂正すると、「重たいものをもつ」ときのジェスチャーをして「こっちの重いじゃなくて?」と聞かれた。
店の出口まで行って不安になって、カウンターまで戻って、
「さっき、さりげない感じって頼んだんですけど、あんまりしょぼくならないようにお願いします」といったら、店員さんが笑ってた。
花キューピッドにちゃんと頼んでくれたかなぁ。
ネットやなんかで直接、注文すればよかったのかな。
メッセージは「たんじょうびおめでとう、23歳のあなたがしあわせでありますように」
20日が記念日で、25日が彼女の誕生日、29日が彼女に会う日。
他の誕生日プレゼントは直接わたす。
実家で送るために、ダンボールにつめてみた。
29日、彼女が別れ話をしたとき用に、彼女の荷物も入れた。
一番気にいった、ぶあついダンボールは、彼女へのプレゼントと彼女のスーパーファミコンとマンガ本がぴったり入るサイズで、すこしびっくりした。このためにあったのかもしれない、とおもうくらい。
神様は計算上手だ。すばらしい。
喉を切ったら溢れそうなもんなんて、ねぇ。
赤ん坊ほどに響かない叫び声でも空気ゆれて
溜息と溜息の間で膨らんだ肺と、まだつめたいシロップ。
追記
Eastern Youthのライブが見てみたい。
6月に来てたんだね。
誕生日プレゼントに白いバラを送ることにした。
前に彼女が、「もらってみたい」って言ってたから。
その話、聞いたときは「なんかはずかしいし、ださいし、ちょっときついな」とおもったけど、出来ることはやりたいのだ。
「なるべく重たい感じにならないようにして下さい」と花屋さんに頼んだら、重量のことだと勘違いしたみたいだったので「いや、印象のほうです」と訂正すると、「重たいものをもつ」ときのジェスチャーをして「こっちの重いじゃなくて?」と聞かれた。
店の出口まで行って不安になって、カウンターまで戻って、
「さっき、さりげない感じって頼んだんですけど、あんまりしょぼくならないようにお願いします」といったら、店員さんが笑ってた。
花キューピッドにちゃんと頼んでくれたかなぁ。
ネットやなんかで直接、注文すればよかったのかな。
メッセージは「たんじょうびおめでとう、23歳のあなたがしあわせでありますように」
20日が記念日で、25日が彼女の誕生日、29日が彼女に会う日。
他の誕生日プレゼントは直接わたす。
実家で送るために、ダンボールにつめてみた。
29日、彼女が別れ話をしたとき用に、彼女の荷物も入れた。
一番気にいった、ぶあついダンボールは、彼女へのプレゼントと彼女のスーパーファミコンとマンガ本がぴったり入るサイズで、すこしびっくりした。このためにあったのかもしれない、とおもうくらい。
神様は計算上手だ。すばらしい。
小休止2
2008年6月17日うむ。
彼女にふられそうだ。
マンガみたいな話だけど、月末に婚約プロポーズしようと、この前、デパートで赤面しつつ指輪を買っちゃったあとに、「ゼロにしたい気分だよ」メールをもらう。
ふむむである。昔から苦手だったのだ、空気を読むのが。
きっとゼロにしたいとかだけじゃなく、好きな人が他にできたんじゃないかなぁ、とおもう。
「もし私が浮気したらどうすんの」って聞かれて
「なんもしない、ただ、そうしたかったんだろうな、っておもうだけだよ」って言ったら、
冷めたみたいっていわれた。
きもちが冷めてたら、もっと楽なんだろうね。
今は、月末に別れ話をされることを想定しつつ、心の準備をしています。
しっかり気持ちを受け止められたらいいなぁとおもう。
言いだすほうもつらいもんな、別れ話って。
彼女にふられそうだ。
マンガみたいな話だけど、月末に婚約プロポーズしようと、この前、デパートで赤面しつつ指輪を買っちゃったあとに、「ゼロにしたい気分だよ」メールをもらう。
ふむむである。昔から苦手だったのだ、空気を読むのが。
きっとゼロにしたいとかだけじゃなく、好きな人が他にできたんじゃないかなぁ、とおもう。
「もし私が浮気したらどうすんの」って聞かれて
「なんもしない、ただ、そうしたかったんだろうな、っておもうだけだよ」って言ったら、
冷めたみたいっていわれた。
きもちが冷めてたら、もっと楽なんだろうね。
今は、月末に別れ話をされることを想定しつつ、心の準備をしています。
しっかり気持ちを受け止められたらいいなぁとおもう。
言いだすほうもつらいもんな、別れ話って。
クリスマス
2008年6月11日僕には二人の叔母がいる。彼女たちは姉妹なのに、似てない。いまも昔も、ひとりはぽっちゃりしていて、もうひとりはやせている。まだクリスマスにおばさんたちが遊びに来ていた頃だから、保育園のころだとおもう。いつもはほしい物なんて聞かない二人に「プレゼントを買いに行こう」といわれた。たぶん、選ぶのが面倒だったのだとおもう。クリスマスの日は、偶然だとおもうけど、ふたりとも夜勤明けだった、午後にでかけることになった。
午前中、なにがほしいか考えてみた。大事なのは、二人でひとつのプレゼントか、ひとりずつがひとつずつプレゼントをくれるかだった。僕は、合体や変形をする自動車型ロボットか、マジックテープのくっついた運動靴がほしかった。(紐靴はいやだった。あのビリビリするテープの部分を、はがしたりくっつけたりするのが、よかったのだ。)結局、おばさんは二人いるから、両方買ってもらえるだろうとおもった。
やせた叔母さんがその頃乗っていた車は、赤い軽自動車だった。ぽっちゃり叔母さんは助手席に、僕は後部座席の真ん中に座って、隣町のおもちゃ屋へ向かった。二人が何を話していたのか、覚えていない。たぶん、病院の話かなんかだとおもう。暖房で、窓が曇っていたから、絵を描いていたら、ミラー越しに、やせた叔母さんに怒られた。
でも、やせた叔母さんのほうは嫌いじゃなかった。ベリーショートくらいみじかい髪で、指も細くて、果物をむくときがかっこよかったのだ。なんだか全体にバランスを欠いていて、きれいじゃないけどきれいだった。滅多に笑わないのに、面白い事があると、でかい声で笑うのが印象的だった。いまはどこにでもいる、普通のおばさんだけど、よくもわるくも笑い方はあんま変わらない気がする。
おもちゃ屋に着いて、僕はお目当てのロボをみつけて買ってもらった。
叔母さんたちがふたりでお金を出していたのをみた僕は「くつもほしい」とはいえなかった。
帰り道、植木鉢を買いに行っていたじいちゃんを迎えにいった。じいちゃんは、その日に限って、一〇個以上も植木鉢を買っていた。トランクに植木鉢を、後部座席におじいちゃんを乗せて、ホームセンターを離れた。
ちょうど「うんこみたいな匂いがする」といったら、じいちゃんが「肥料だよ」といって始めた肥料の説明を一通り終えて、やせた叔母さんがタバコをすいながら、「じいちゃんの説明わかった?うんこじゃないよ」といって、ぽっちゃり叔母さんが、くすくすわらったあと、交差点を通り過ぎるときだったとおもう。
叔母さんたちの「ひゃっ」て声が聞こえて、じいちゃんの手が僕の身体をおさえたあと、横から、車に追突された。あまり衝撃はかんじなかった気がしたのに、運転席側のガラスが粉々に割れて、叔母さんたちの衣服と、ダッシュボードと車の床やシートに散らばっていた。僕はホームセンターで買ってもらったけど、つぶいりオレンジジュースをこぼしてた。みんな、おどろいていてうごかなかった。しばらくして、だれかが「だいじょうぶ?」といったので、みんなで自分たちに怪我がないかしらべてみた。僕もじいちゃんも、ぽっちゃり叔母さんも無傷だった。ただ、やせた叔母さんの右手がすこし切れたみたいで、血が出ていた。
車を道路脇にずらして、トランクの中の赤茶色の植木鉢がわれたって話を聞いて外にでると、車のドアがこわれているのをみつけた。ぐらついていて、今にもはずれそうだった。事故相手と話し合いから戻ってきた叔母さんたちが「運転中にこわれそうだね。」という話をしたあと、ふたりで運転席側のドアをひっぺがして車に乗り込んだ。
ひっぺがしたドアが気になって「あれ、あそこに置いていっていいの?」ときくと、「いいのいいの、あれは。」という返事があって、なにがいいのかわかんないけど、「ふーん」といっておいた。車が走りだすと、当たり前のように、運転席の開けっ放しのドアからつめたい風がはいってきた。みんなで「さむいね」なんて言い合っていたら「ドア、はがさないほうがよかったかな」っておばさんたちがいった。
そのあとは、おじいちゃんの反射神経についての話で盛り上がった。
なんだかつかれた、とおもいながら、クリスマスだからいいかなとおもった。
ほんとはおばさんはひとりしかいないけどね。
あんまり知らない人だし。
ちいさいときって、あんまりつかれたとかおもわないよね。
自分だけかな。
午前中、なにがほしいか考えてみた。大事なのは、二人でひとつのプレゼントか、ひとりずつがひとつずつプレゼントをくれるかだった。僕は、合体や変形をする自動車型ロボットか、マジックテープのくっついた運動靴がほしかった。(紐靴はいやだった。あのビリビリするテープの部分を、はがしたりくっつけたりするのが、よかったのだ。)結局、おばさんは二人いるから、両方買ってもらえるだろうとおもった。
やせた叔母さんがその頃乗っていた車は、赤い軽自動車だった。ぽっちゃり叔母さんは助手席に、僕は後部座席の真ん中に座って、隣町のおもちゃ屋へ向かった。二人が何を話していたのか、覚えていない。たぶん、病院の話かなんかだとおもう。暖房で、窓が曇っていたから、絵を描いていたら、ミラー越しに、やせた叔母さんに怒られた。
でも、やせた叔母さんのほうは嫌いじゃなかった。ベリーショートくらいみじかい髪で、指も細くて、果物をむくときがかっこよかったのだ。なんだか全体にバランスを欠いていて、きれいじゃないけどきれいだった。滅多に笑わないのに、面白い事があると、でかい声で笑うのが印象的だった。いまはどこにでもいる、普通のおばさんだけど、よくもわるくも笑い方はあんま変わらない気がする。
おもちゃ屋に着いて、僕はお目当てのロボをみつけて買ってもらった。
叔母さんたちがふたりでお金を出していたのをみた僕は「くつもほしい」とはいえなかった。
帰り道、植木鉢を買いに行っていたじいちゃんを迎えにいった。じいちゃんは、その日に限って、一〇個以上も植木鉢を買っていた。トランクに植木鉢を、後部座席におじいちゃんを乗せて、ホームセンターを離れた。
ちょうど「うんこみたいな匂いがする」といったら、じいちゃんが「肥料だよ」といって始めた肥料の説明を一通り終えて、やせた叔母さんがタバコをすいながら、「じいちゃんの説明わかった?うんこじゃないよ」といって、ぽっちゃり叔母さんが、くすくすわらったあと、交差点を通り過ぎるときだったとおもう。
叔母さんたちの「ひゃっ」て声が聞こえて、じいちゃんの手が僕の身体をおさえたあと、横から、車に追突された。あまり衝撃はかんじなかった気がしたのに、運転席側のガラスが粉々に割れて、叔母さんたちの衣服と、ダッシュボードと車の床やシートに散らばっていた。僕はホームセンターで買ってもらったけど、つぶいりオレンジジュースをこぼしてた。みんな、おどろいていてうごかなかった。しばらくして、だれかが「だいじょうぶ?」といったので、みんなで自分たちに怪我がないかしらべてみた。僕もじいちゃんも、ぽっちゃり叔母さんも無傷だった。ただ、やせた叔母さんの右手がすこし切れたみたいで、血が出ていた。
車を道路脇にずらして、トランクの中の赤茶色の植木鉢がわれたって話を聞いて外にでると、車のドアがこわれているのをみつけた。ぐらついていて、今にもはずれそうだった。事故相手と話し合いから戻ってきた叔母さんたちが「運転中にこわれそうだね。」という話をしたあと、ふたりで運転席側のドアをひっぺがして車に乗り込んだ。
ひっぺがしたドアが気になって「あれ、あそこに置いていっていいの?」ときくと、「いいのいいの、あれは。」という返事があって、なにがいいのかわかんないけど、「ふーん」といっておいた。車が走りだすと、当たり前のように、運転席の開けっ放しのドアからつめたい風がはいってきた。みんなで「さむいね」なんて言い合っていたら「ドア、はがさないほうがよかったかな」っておばさんたちがいった。
そのあとは、おじいちゃんの反射神経についての話で盛り上がった。
なんだかつかれた、とおもいながら、クリスマスだからいいかなとおもった。
ほんとはおばさんはひとりしかいないけどね。
あんまり知らない人だし。
ちいさいときって、あんまりつかれたとかおもわないよね。
自分だけかな。
きいろいヘルメット
2008年6月10日しずかな音がききたいような気分で、自転車に乗っていたら、きいろいヘルメットのおっさんが、山下清スタイルで立ちこぎをしていた。べつにおにぎりを片手に、ペダルをこいでいたわけじゃない。みじかいズボンに、ランニング姿だっただけ。
おっさんは、ヤクザ映画をみたあとのように肩をいからせていた。視界から消えるまでずっと、自信のある目つきで前をみすえてペダルをこいでいた。鼻息まじりの息遣いが、交差点のすれちがいざま聞こえた。
どこへむかう、おっさん。
僕は、そうおもいながら赤い信号の前で立ち止まった。
おっさんはおそらく、誰かをたすけにいく。
おっさんはおそらく、危険な場所へむかう。
おっさんはおそらく、野菜なんてきらいだ。
肉を食え、こころのなかのおっさんが吼えた。
僕は彼女からメールが来ていないかなぁと思いながら、自転車をこいだ。家まで、あめもふらずに、塵を含んだ空気が、ぼおっと霧のなかのようにあかるくかすんでいたなかに、藍ばんだ夕ぐれが染みこんでくる。からっぽな黄色いヘルメットを満たして、からっぽな胃袋に収縮音をうながすような図々しさで。
家のドアの鍵あけたら、だれもいなかった。
そりゃ、そうだ。
たよりがないのはいいたより
ほら、肉を食え。
追記
今日はスパゲッティをつくった。
あんまりおいしくなかったので、もっとおいしいものが作れるようになりたい。
おっさんは、ヤクザ映画をみたあとのように肩をいからせていた。視界から消えるまでずっと、自信のある目つきで前をみすえてペダルをこいでいた。鼻息まじりの息遣いが、交差点のすれちがいざま聞こえた。
どこへむかう、おっさん。
僕は、そうおもいながら赤い信号の前で立ち止まった。
おっさんはおそらく、誰かをたすけにいく。
おっさんはおそらく、危険な場所へむかう。
おっさんはおそらく、野菜なんてきらいだ。
肉を食え、こころのなかのおっさんが吼えた。
僕は彼女からメールが来ていないかなぁと思いながら、自転車をこいだ。家まで、あめもふらずに、塵を含んだ空気が、ぼおっと霧のなかのようにあかるくかすんでいたなかに、藍ばんだ夕ぐれが染みこんでくる。からっぽな黄色いヘルメットを満たして、からっぽな胃袋に収縮音をうながすような図々しさで。
家のドアの鍵あけたら、だれもいなかった。
そりゃ、そうだ。
たよりがないのはいいたより
ほら、肉を食え。
追記
今日はスパゲッティをつくった。
あんまりおいしくなかったので、もっとおいしいものが作れるようになりたい。
お昼休み、元上司が糖尿病になった話を聞いた。夜間も透析をしている病院のそばに引越しをしたらしい。なんだか、うれしそうに話していた。
何か足りない色の空が、ぐずぐずと雨を落としそうだった。
からすが黒い貝殻みたいな嘴で、ゴミの散らばった地面をつついていた帰り道、大嫌いな「もずく酢」を買ってみた。スーパーの出口、誘蛾灯に群がる虫たちから落とした視線、目の前を通り過ぎる肥満児は、両手いっぱいに炭酸ジュースを抱えて、満足そうに唇を結んでいた。
ぼくは、「あ、顔がしかくい」とおもった。
家に着いて、もずくと、源氏パイと冷やしぜんざいの入った袋を冷蔵庫に入れて、ごはんを炊いて、五目寿司の「五目」について考えながらオクラを刻んでゆでて、それとは別に、お味噌汁を作っておいた。
ごはんが炊けるまで、タイの青年とチャットして、「昨日のメッセージみた?」って言葉に「見た」って答えたら、「なんで無視したの」、って言われたから「眠たくて、ごめん」って謝った。
「うーん、いいよ、問題ない」って返ってきたから「ごめん」といっといた。
タイの青年の今日の夕飯は、ラーメンみたいなものらしい。
ラーメンを食べたくなった。
夕食の準備ができたので「じゃ、またね」といって、ごはんを食べた。
食べ終えてお皿を洗った。さて、「もずく酢」である。今日ならクリアできるに違いない、と思ったのもつかの間、パックを開けたとき、今回の挑戦が失敗におわったことを悟った。
酸味のきいたもずくはやはり喉を通らず、むせた。
右目だけ、涙が出た。
大人への道は遠い。僕はもずく酢をあきらめて、ぜんざいを食べた。
やっぱあずきはうまいなぁ。とおもった。
何か足りない色の空が、ぐずぐずと雨を落としそうだった。
からすが黒い貝殻みたいな嘴で、ゴミの散らばった地面をつついていた帰り道、大嫌いな「もずく酢」を買ってみた。スーパーの出口、誘蛾灯に群がる虫たちから落とした視線、目の前を通り過ぎる肥満児は、両手いっぱいに炭酸ジュースを抱えて、満足そうに唇を結んでいた。
ぼくは、「あ、顔がしかくい」とおもった。
家に着いて、もずくと、源氏パイと冷やしぜんざいの入った袋を冷蔵庫に入れて、ごはんを炊いて、五目寿司の「五目」について考えながらオクラを刻んでゆでて、それとは別に、お味噌汁を作っておいた。
ごはんが炊けるまで、タイの青年とチャットして、「昨日のメッセージみた?」って言葉に「見た」って答えたら、「なんで無視したの」、って言われたから「眠たくて、ごめん」って謝った。
「うーん、いいよ、問題ない」って返ってきたから「ごめん」といっといた。
タイの青年の今日の夕飯は、ラーメンみたいなものらしい。
ラーメンを食べたくなった。
夕食の準備ができたので「じゃ、またね」といって、ごはんを食べた。
食べ終えてお皿を洗った。さて、「もずく酢」である。今日ならクリアできるに違いない、と思ったのもつかの間、パックを開けたとき、今回の挑戦が失敗におわったことを悟った。
酸味のきいたもずくはやはり喉を通らず、むせた。
右目だけ、涙が出た。
大人への道は遠い。僕はもずく酢をあきらめて、ぜんざいを食べた。
やっぱあずきはうまいなぁ。とおもった。
ベビーカーを押すスピードで
2008年6月7日
Amazon.co.jp
西暦2027年、人類に子どもが誕生しなくなり、世界は荒れ果てていた。英国のエネルギー省官僚のセオはある武装集団に拉致されるが、リーダーは元妻のジュリアン。彼女は1万ポンドと引き換えに検問を通過できる通行証がほしいと言う。彼女の目的は、ひとりの移民の少女を新しい社会を作る活動をしている「ヒューマン・プロジェクト」に届けること。しかし、そのグループには実態がなく、なおかつ、その少女は重大な秘密を抱えていた。
『ハリー・ポッターとアズガバンの囚人』や『リトル・プリンセス』などのファンタジー色の濃い作品を手がけたと思ったら、このような骨太な作品も演出できるのだから、アルフォンソ・キュアロンの力量には舌を巻く。ミステリーの女王P.D.ジェイムスが手がけたSFを製作費120億円かけて映画化。長回しで緊張感を持続させたことでリアルな迫力に満ちた作品になった。決して娯楽作ではない、少子化の現代を思えば、未来への警報ともとれるメッセージを備えた力作だ。 主演セオ役はクライブ・オーウェン。ほかマイケル・ケイン、ジュリアン・ムーアがクライブを好サポートしているのも見逃せない。(斎藤香)
朝、ベビーカーを押す人をみた。
歩道の境目で立ち止まっていたので「どうしたんだろう」とおもったら、ちょうど深い段差があるところをゆっくり押し歩いているところだった。とても慎重に、神経質にみえるくらいゆっくりとベビーカーを押す姿がなんだか印象に残った。
僕は赤ん坊が苦手だ。なんだかどうしたらいいのかわからなくなる。皺くちゃな顔も、バランスを欠いたように見えるパーツも、かわいい、と素直におもえない。でも、歩道の境目でベビーカーの速度を落とす母親の気持ちはなんとなくわかる気がする。
大切だとおもうものを「大切にしたい」ってだけだとおもう。
今日は「トゥモローワールド(Children of Men)」を見た。
シニカルで絶望的でユーモアがあって、とても素晴らしい作品だとおもう。技術力も高いのに、技術には溺れてない。描写対象がぶれないし、内容が水増しされない。
きちんとした芯の部分に、いいたいことや描きたいことがあるからだとおもう。
この映画は、2027年の子供の生まれなくなった世界(イギリス)が舞台になっている。
世界は約19年の不妊期間のせいで荒廃している。イギリスは国境を封鎖、移民を排除する政策をたてて、不法な移民などは収容所などに隔離または強制退国している。政府は、自殺薬と抗うつ剤を配給しているにもかかわらず、朝のニュースで自殺薬のCMが流される世界である。
映画は、世界最年少の少年が死んだことを報せるニュースからはじまる。サインをねだったファンに唾を吐きかけたせいで殺されたのだ。
とまぁ、ここにあらすじを細かくあげつらっても見たくなくなるだけだよな。
個人的には、終盤8分以上の長回しが続くシーンがあるんだけど、そこが本当に素晴らしいとおもう。あの階段を降りて、外に出て行くシーンを描くために、そのために残酷な暴力描写があるといってもいいくらい。
ただ、この映画のいいところは、現実からは浮き足立ったヒューマニズムを掲揚するだけじゃない点だとおもう
あんなふうによわっちい存在をいとおしく、大切におもう気持ちを、誰に対しても持ち続けられたらいいのに、とおもった刹那、そんな夢想をかき消すような状況がまた目の前で繰り広げられるからだ。
監督があのシーンの最後に「再開される銃撃戦」を挿入したのは、たぶん、「人類みな兄弟」的なやさしさは、なかなか在り得がたいからだとおもう。世の中には、大切だと思っていた人間を殺す人もいるし、大切だと思う人やもののために、大切だとおもわない人を傷つけたり、殺したりする人もいるのだ。
ある人は、仲間じゃない人間を排除したりもする。
仲間以外は大切じゃない、というふうに考える人もいるからだ。
それでも、例えば、母親がベビーカーのスピードをゆるめる時のようなやさしさをなるべく長い期間、なるべく多くの人に対して持ち続けられたらいいのにとおもう。
なかなかむずかしいけどねぇ、世の中いろんな人がいるもんなぁ。
個人的には、レディオヘッドやキングクリムゾン、リバティンズやローリングストーンズ(このカバーはあんま好きじゃないけど)の曲が使われていて、すごいよかった。もちろんジョンレノンもね。
西暦2027年、人類に子どもが誕生しなくなり、世界は荒れ果てていた。英国のエネルギー省官僚のセオはある武装集団に拉致されるが、リーダーは元妻のジュリアン。彼女は1万ポンドと引き換えに検問を通過できる通行証がほしいと言う。彼女の目的は、ひとりの移民の少女を新しい社会を作る活動をしている「ヒューマン・プロジェクト」に届けること。しかし、そのグループには実態がなく、なおかつ、その少女は重大な秘密を抱えていた。
『ハリー・ポッターとアズガバンの囚人』や『リトル・プリンセス』などのファンタジー色の濃い作品を手がけたと思ったら、このような骨太な作品も演出できるのだから、アルフォンソ・キュアロンの力量には舌を巻く。ミステリーの女王P.D.ジェイムスが手がけたSFを製作費120億円かけて映画化。長回しで緊張感を持続させたことでリアルな迫力に満ちた作品になった。決して娯楽作ではない、少子化の現代を思えば、未来への警報ともとれるメッセージを備えた力作だ。 主演セオ役はクライブ・オーウェン。ほかマイケル・ケイン、ジュリアン・ムーアがクライブを好サポートしているのも見逃せない。(斎藤香)
朝、ベビーカーを押す人をみた。
歩道の境目で立ち止まっていたので「どうしたんだろう」とおもったら、ちょうど深い段差があるところをゆっくり押し歩いているところだった。とても慎重に、神経質にみえるくらいゆっくりとベビーカーを押す姿がなんだか印象に残った。
僕は赤ん坊が苦手だ。なんだかどうしたらいいのかわからなくなる。皺くちゃな顔も、バランスを欠いたように見えるパーツも、かわいい、と素直におもえない。でも、歩道の境目でベビーカーの速度を落とす母親の気持ちはなんとなくわかる気がする。
大切だとおもうものを「大切にしたい」ってだけだとおもう。
今日は「トゥモローワールド(Children of Men)」を見た。
シニカルで絶望的でユーモアがあって、とても素晴らしい作品だとおもう。技術力も高いのに、技術には溺れてない。描写対象がぶれないし、内容が水増しされない。
きちんとした芯の部分に、いいたいことや描きたいことがあるからだとおもう。
この映画は、2027年の子供の生まれなくなった世界(イギリス)が舞台になっている。
世界は約19年の不妊期間のせいで荒廃している。イギリスは国境を封鎖、移民を排除する政策をたてて、不法な移民などは収容所などに隔離または強制退国している。政府は、自殺薬と抗うつ剤を配給しているにもかかわらず、朝のニュースで自殺薬のCMが流される世界である。
映画は、世界最年少の少年が死んだことを報せるニュースからはじまる。サインをねだったファンに唾を吐きかけたせいで殺されたのだ。
とまぁ、ここにあらすじを細かくあげつらっても見たくなくなるだけだよな。
個人的には、終盤8分以上の長回しが続くシーンがあるんだけど、そこが本当に素晴らしいとおもう。あの階段を降りて、外に出て行くシーンを描くために、そのために残酷な暴力描写があるといってもいいくらい。
ただ、この映画のいいところは、現実からは浮き足立ったヒューマニズムを掲揚するだけじゃない点だとおもう
あんなふうによわっちい存在をいとおしく、大切におもう気持ちを、誰に対しても持ち続けられたらいいのに、とおもった刹那、そんな夢想をかき消すような状況がまた目の前で繰り広げられるからだ。
監督があのシーンの最後に「再開される銃撃戦」を挿入したのは、たぶん、「人類みな兄弟」的なやさしさは、なかなか在り得がたいからだとおもう。世の中には、大切だと思っていた人間を殺す人もいるし、大切だと思う人やもののために、大切だとおもわない人を傷つけたり、殺したりする人もいるのだ。
ある人は、仲間じゃない人間を排除したりもする。
仲間以外は大切じゃない、というふうに考える人もいるからだ。
それでも、例えば、母親がベビーカーのスピードをゆるめる時のようなやさしさをなるべく長い期間、なるべく多くの人に対して持ち続けられたらいいのにとおもう。
なかなかむずかしいけどねぇ、世の中いろんな人がいるもんなぁ。
個人的には、レディオヘッドやキングクリムゾン、リバティンズやローリングストーンズ(このカバーはあんま好きじゃないけど)の曲が使われていて、すごいよかった。もちろんジョンレノンもね。
おそい
2008年6月6日運動会のない国に生まれたかった。だって、足おそいんだもの。
大人になった今、「運動会」なるものはないが、小学校の時には本気でそうおもっていた。
運動会の3週間くらい前から中止を祈っていたくらいだ。
たぶん、大人運動会があれば、また祈ることになるだろう。
小学校4年ときも、やっぱり運動会がいやだった。ただ、それより前とはちがうのは、運動会がなくなることより、足がはやくならないか考えていた点だとおもう。韋駄天、俊足、リレーの選手、カールルイス、ベン・ジョンソンなんでもいいから、足のはやい人間になりたかった。そうすれば、運動会はむしろ楽しくなるだろう。
だって、足速いとかっこいいじゃん。
だが、その時の僕のローレル指数は相変わらず169越えをしていた。
「肥満」ではない。「太り過ぎ」である。
あいまいに神様を信じていた僕は、とりあえず神様に祈ってみた。毎日のように、だ。
「足がはやくなりますように。」
きっと人間が神様にお願いしたことを叶えてもらえるなら、1992年の肥満児は、2008年現在、さぞかしめでたい人生を送ってるんだろう。たぶん、世界は平和だ。
もしかしたら、なくなってるかもしんないけど。
とまぁそんなわけで、やっぱり神頼みは効果なかった。
神社にいったり、寝る前に祈ったり、体育の前に祈ったり、下校中にひとり歩きながら祈ったりとけっこう努力したのだが、どんなに祈っても足がはやくなるわけはない。当り前である。
こまった。
やはりいきなり速く走れるようになるとは考えにくかった。
でもって、僕は、考えた。「きっと僕と他の人がちがうのは、走り方だ。」と。いちばんちがうのは体型だったが、それはまぁ、さておきである。
そして、一生懸命、オリンピック選手の走り方を思い出してみて気づいた。やつらは、あんまり踵をつけて走っていないのだ。そして、腕はターミネ―ター2のT1000ばりに、直角だ。
ぼくは早速、その頃、親友だった中くんに教えてあげた。
「僕、すごいことに気づいちゃったさ」と。
当時、中君は、僕より足がはやかったが、わたしの実績ゼロのアドバイスを真に受けていた。ものすごい素直だったのかもしれない、こういったのだ。「なんか足、速くなった気がする」と。当の本人の僕自身もそうおもっていた。こいつは、すごい発見しちまった。もしかしたら、1位になれるやもしれん。と。わたしたち二人は、その走り方を「つまさき走り」と命名し、下校時に「つまさき走り」スタイルで帰り道をかけっこしては、その効果を実感していた。午後二時すぎに、片田舎をT1000のようにつっ走るわたしたちの姿はさぞかし異様に見えただろう。
運動会当日、わたしはそれまでの運動会では感じたことのない自信を感じていた。
気分はもはや、ただのデブではない、走れるデブである。
おなじようにすこし太めだったライバルのサカモトくん(本当はあんまり太っていなかったかもしれない。勝手にライバル視していたのだ、ぽっちゃりだったから。)に対する優越感といったら、もうひどいもんである。
「俺はおまえよりはやいぜ、だって「つまさき走り」だぜ。とおもっていた。これも、小学校4年生の自己認識の甘さがなせる業である。
そんなこんなで、ここまで読んでくれた人の大部分がきづいているとはおもうけど、気結局のところ、徒競争の結果は、さんざんなものだった。6人中5位だったからだ。
みなさん、「つまさき走り」なんかしても速く走れませんよ。
練習あるのみです。
大人には運動会がない、まったく最高である。
大人になった今、「運動会」なるものはないが、小学校の時には本気でそうおもっていた。
運動会の3週間くらい前から中止を祈っていたくらいだ。
たぶん、大人運動会があれば、また祈ることになるだろう。
小学校4年ときも、やっぱり運動会がいやだった。ただ、それより前とはちがうのは、運動会がなくなることより、足がはやくならないか考えていた点だとおもう。韋駄天、俊足、リレーの選手、カールルイス、ベン・ジョンソンなんでもいいから、足のはやい人間になりたかった。そうすれば、運動会はむしろ楽しくなるだろう。
だって、足速いとかっこいいじゃん。
だが、その時の僕のローレル指数は相変わらず169越えをしていた。
「肥満」ではない。「太り過ぎ」である。
あいまいに神様を信じていた僕は、とりあえず神様に祈ってみた。毎日のように、だ。
「足がはやくなりますように。」
きっと人間が神様にお願いしたことを叶えてもらえるなら、1992年の肥満児は、2008年現在、さぞかしめでたい人生を送ってるんだろう。たぶん、世界は平和だ。
もしかしたら、なくなってるかもしんないけど。
とまぁそんなわけで、やっぱり神頼みは効果なかった。
神社にいったり、寝る前に祈ったり、体育の前に祈ったり、下校中にひとり歩きながら祈ったりとけっこう努力したのだが、どんなに祈っても足がはやくなるわけはない。当り前である。
こまった。
やはりいきなり速く走れるようになるとは考えにくかった。
でもって、僕は、考えた。「きっと僕と他の人がちがうのは、走り方だ。」と。いちばんちがうのは体型だったが、それはまぁ、さておきである。
そして、一生懸命、オリンピック選手の走り方を思い出してみて気づいた。やつらは、あんまり踵をつけて走っていないのだ。そして、腕はターミネ―ター2のT1000ばりに、直角だ。
ぼくは早速、その頃、親友だった中くんに教えてあげた。
「僕、すごいことに気づいちゃったさ」と。
当時、中君は、僕より足がはやかったが、わたしの実績ゼロのアドバイスを真に受けていた。ものすごい素直だったのかもしれない、こういったのだ。「なんか足、速くなった気がする」と。当の本人の僕自身もそうおもっていた。こいつは、すごい発見しちまった。もしかしたら、1位になれるやもしれん。と。わたしたち二人は、その走り方を「つまさき走り」と命名し、下校時に「つまさき走り」スタイルで帰り道をかけっこしては、その効果を実感していた。午後二時すぎに、片田舎をT1000のようにつっ走るわたしたちの姿はさぞかし異様に見えただろう。
運動会当日、わたしはそれまでの運動会では感じたことのない自信を感じていた。
気分はもはや、ただのデブではない、走れるデブである。
おなじようにすこし太めだったライバルのサカモトくん(本当はあんまり太っていなかったかもしれない。勝手にライバル視していたのだ、ぽっちゃりだったから。)に対する優越感といったら、もうひどいもんである。
「俺はおまえよりはやいぜ、だって「つまさき走り」だぜ。とおもっていた。これも、小学校4年生の自己認識の甘さがなせる業である。
そんなこんなで、ここまで読んでくれた人の大部分がきづいているとはおもうけど、気結局のところ、徒競争の結果は、さんざんなものだった。6人中5位だったからだ。
みなさん、「つまさき走り」なんかしても速く走れませんよ。
練習あるのみです。
大人には運動会がない、まったく最高である。
永久歯
2008年6月5日叫ぶような口のかたちで、背中を丸めて苦しそうに呼吸をする彼を見ているとうれしくなる。すこし残酷かもしれないけど、あたしの時間を無駄にした罰だ。このご時世、時給の出ない行為に時間を割くほど、あたしはお人よしじゃないのだ。
いつものじゃ物足りなかったから、残り少ない歯をひとつだけ引き抜いたら、おおげさにじたばたしたから、ちゃんと蹴ってあげた。うんざりする。ああいうふうに、格好の悪い苦しみ方を見せられると、喉までこみあげた嫌悪感でいきぐるしくなる。こいつはどうしてもっと、きれいにくるしめないんだろう。それができなきゃ苦しむ権利なんかないのに。その無駄な苦しみが見るに堪えなくて、ほんとがっかりする。
でも、抜いた歯はやっぱりきれいだから好きだ。歯のエナメルは、すりつぶした苺と重曹に漬けてもきれいになるけど、あたしは念には念を入れて、オキシドールでも漂白することにしてる。そのあとは、象牙質が出てこない程度に汚れを削るけど、やっぱり一番大きな奥歯がいいとおもう。この前、抜いた歯はうまく削れて、きれいなサイコロ型になったから、細い紐を通して、自転車の鍵につけといた。
失敗した歯は、近所の一軒家に向かって投げる。上の歯なら床下だし、下の歯ならやねの上を目指すのだ。またいい歯が生えるかな、とおもう。
どうせ、永久歯だから生えるわけないけど
彼は、落ち着いたのか。テレビを見ていた。
あたしも一緒に見ることにした。
ずいぶん泣ける海外ドキュメンタリーだった。あたしは、貧乏で学校に通えない子をみていると、かわいそうだなとおもって泣けてきたから、ティッシュペーパーで涙をふいたあと、化粧をなおして、男のカードでコンビニのATMで募金の口座に、送金した。
帰り、気がむいたので、男のために焼きプリンを買っていった。
帰ってきたあたしを見つけた彼は、前歯の抜けた笑顔をうかべて幸せそうにわらった。
追記
女で1人称、おかま言葉になってそうでこわいやね。
今日は彼女と電話で話した、たまに漏れる溜息で胸がいたくなる。
たとえば、そんな仕打ち。
いつものじゃ物足りなかったから、残り少ない歯をひとつだけ引き抜いたら、おおげさにじたばたしたから、ちゃんと蹴ってあげた。うんざりする。ああいうふうに、格好の悪い苦しみ方を見せられると、喉までこみあげた嫌悪感でいきぐるしくなる。こいつはどうしてもっと、きれいにくるしめないんだろう。それができなきゃ苦しむ権利なんかないのに。その無駄な苦しみが見るに堪えなくて、ほんとがっかりする。
でも、抜いた歯はやっぱりきれいだから好きだ。歯のエナメルは、すりつぶした苺と重曹に漬けてもきれいになるけど、あたしは念には念を入れて、オキシドールでも漂白することにしてる。そのあとは、象牙質が出てこない程度に汚れを削るけど、やっぱり一番大きな奥歯がいいとおもう。この前、抜いた歯はうまく削れて、きれいなサイコロ型になったから、細い紐を通して、自転車の鍵につけといた。
失敗した歯は、近所の一軒家に向かって投げる。上の歯なら床下だし、下の歯ならやねの上を目指すのだ。またいい歯が生えるかな、とおもう。
どうせ、永久歯だから生えるわけないけど
彼は、落ち着いたのか。テレビを見ていた。
あたしも一緒に見ることにした。
ずいぶん泣ける海外ドキュメンタリーだった。あたしは、貧乏で学校に通えない子をみていると、かわいそうだなとおもって泣けてきたから、ティッシュペーパーで涙をふいたあと、化粧をなおして、男のカードでコンビニのATMで募金の口座に、送金した。
帰り、気がむいたので、男のために焼きプリンを買っていった。
帰ってきたあたしを見つけた彼は、前歯の抜けた笑顔をうかべて幸せそうにわらった。
追記
女で1人称、おかま言葉になってそうでこわいやね。
今日は彼女と電話で話した、たまに漏れる溜息で胸がいたくなる。
たとえば、そんな仕打ち。
名古屋に来て、三ヶ月が経った。
ほんとに、もう三十ヶ月はいるような気がする。
名古屋はおもったより地味なところだ。カラフルな建物もなく、カラフルな服を着た人も歩いていない。(そんな町あんまりないのかもしれないよな。)ただ、人口六〇〇〇程度の町から来た奴にとってみれば、ちょっとしたダイナミズムを漠然と感じる瞬間もある。
顔のないひとたちが乗った車がぐるぐるまわっているような妄想。
そんな妄想とは関係ないけど、四月のおわりにエアコンを買った。
たぶん、知り合いにさんざん脅されたからだとおもう。「こっちの夏はじとじとして、すっごい暑いよ。ほんといやらしい暑さだから」って話をいろんな人に聞いた。たぶん、北海道出身の人間には、来たるべく夏に向けて心の準備をさせておこう、っていうやさしさだろう。近所のホームセンターで、よさげなエアコンが半額で売られていたのを見た僕は、近いうちに友達と先輩がこっちに来るという話も聞いていたので、「はやいとこ買っておこう」とおもった。近所のホームセンターの店員は愛想がわるいけど、愛想がわるいなりに、対応をしてくれたので、愛想がわるいなぁと思いながら、カードでエアコンを買った。
店員には、「わりと大きめのエアコンなので、コンセントのアンペアを変えなきゃいけないこと」それから「二千円かかること」を説明された。それもまたきっちりと無愛想なスタイルで、だ。
エアコンが届いたのは、つぎの日曜日だった。
その日は、エアコンと一緒に取り付け工事の業者さんが三時に来ることになっていた。
僕はひさしぶりに部屋を掃除した。
トイレを使いたい、って言ったらいやだなぁ。言うわけないか。とか思いながら、トイレ掃除をし、パワーのない掃除機でラグをきれいにし、テーブルをはじっこによけて、いつも寝ている部屋はドアを閉めた。見られなければいいのだ。
二時ごろだったとおもう。ピンポンが鳴った。玄関のほうにいくと「エアコンを取り付けに来ましたぁー」という声がきこえた。ドアを開けると、作業着姿のおっさんが立っていた。髪の毛のうすいおっさんだった。おっさんの頭には残りすくない髪の毛がたよりなくのっかっていたが、気にする人もいるので、「視線をあまり注がないようにしよう」とおもった。
おっさんが家にあがったあと、彼が作業をするのを見たり、「今日の料理」を見たりしていたが、なぜか心ここにあらずになってしまった。なんだかどうして、所在ない気持ちになってしまい、おっさんに話をかけてみることにした。
予想通り、おっさんははじめ面倒くさそうに答えていたが、愚痴を聞く段階になって、なんだかいろいろなお話をしてくれた。「今日は3件分予約が入ってる」とか「この仕事は、年中無休だ」とか、「世知辛い世の中」についてとか、跡継ぎの息子さんについてとか、あと室外機がものすごい重いって話だ。室外機の重いのは、40キロくらいになるらしく、3階にある俺の部屋まで20キロ近いそれを運びながら引退を考えたって話をしてくれた。
ぼくは、おっさんの話がおもしろかったのもあって、すこし取り付け作業を手伝ってみた。といっても、エアコン穴にパイプを通すときに、すこし手を貸しただけだけど。おっさんはすこし意外そうな半笑いをうかべて「おぉ。ありがと、ありがとう。」といった。のど渇いてるかな、とおもってジュースをすすめてみたが、「いらないよー」と語尾を延ばしていわれたので、ぼくは「まぁ、そうだよな」とおもった。
四時ごろ、工事が終わった。
エアコンが作動するかどうか、おっさんがチェックしはじめたので、ぼくは「もう帰るだろうな」と思って「コンセント工事」のお金を出そうとしたが、「いらないよー」といわれた。
「あの、工事ちょっと手伝ってくれたしさ。まぁ、二千円をもらうことになってるんだけど、いらないや。」そういわれた。「え、いや、でも」といったら「いらないいらない、いらないから」と3回もいらないを連呼されたので、ありがたや、と感謝しつつ、僕は玄関からフェイドアウトしていくおっさんに向かってお礼をいった。
部屋に戻って、テレビをつけたけど、何も面白い番組がなかった。
別に暑くなかったけど、リモコンで冷房をつけてみた。
うすげのおっさんが取り付けた機械からは、とてもすずしくて気持ちのいい空気が出てきた。
ぼくはやっぱり、「エアコンって、便利だなぁ」とおもった。
ほんとに、もう三十ヶ月はいるような気がする。
名古屋はおもったより地味なところだ。カラフルな建物もなく、カラフルな服を着た人も歩いていない。(そんな町あんまりないのかもしれないよな。)ただ、人口六〇〇〇程度の町から来た奴にとってみれば、ちょっとしたダイナミズムを漠然と感じる瞬間もある。
顔のないひとたちが乗った車がぐるぐるまわっているような妄想。
そんな妄想とは関係ないけど、四月のおわりにエアコンを買った。
たぶん、知り合いにさんざん脅されたからだとおもう。「こっちの夏はじとじとして、すっごい暑いよ。ほんといやらしい暑さだから」って話をいろんな人に聞いた。たぶん、北海道出身の人間には、来たるべく夏に向けて心の準備をさせておこう、っていうやさしさだろう。近所のホームセンターで、よさげなエアコンが半額で売られていたのを見た僕は、近いうちに友達と先輩がこっちに来るという話も聞いていたので、「はやいとこ買っておこう」とおもった。近所のホームセンターの店員は愛想がわるいけど、愛想がわるいなりに、対応をしてくれたので、愛想がわるいなぁと思いながら、カードでエアコンを買った。
店員には、「わりと大きめのエアコンなので、コンセントのアンペアを変えなきゃいけないこと」それから「二千円かかること」を説明された。それもまたきっちりと無愛想なスタイルで、だ。
エアコンが届いたのは、つぎの日曜日だった。
その日は、エアコンと一緒に取り付け工事の業者さんが三時に来ることになっていた。
僕はひさしぶりに部屋を掃除した。
トイレを使いたい、って言ったらいやだなぁ。言うわけないか。とか思いながら、トイレ掃除をし、パワーのない掃除機でラグをきれいにし、テーブルをはじっこによけて、いつも寝ている部屋はドアを閉めた。見られなければいいのだ。
二時ごろだったとおもう。ピンポンが鳴った。玄関のほうにいくと「エアコンを取り付けに来ましたぁー」という声がきこえた。ドアを開けると、作業着姿のおっさんが立っていた。髪の毛のうすいおっさんだった。おっさんの頭には残りすくない髪の毛がたよりなくのっかっていたが、気にする人もいるので、「視線をあまり注がないようにしよう」とおもった。
おっさんが家にあがったあと、彼が作業をするのを見たり、「今日の料理」を見たりしていたが、なぜか心ここにあらずになってしまった。なんだかどうして、所在ない気持ちになってしまい、おっさんに話をかけてみることにした。
予想通り、おっさんははじめ面倒くさそうに答えていたが、愚痴を聞く段階になって、なんだかいろいろなお話をしてくれた。「今日は3件分予約が入ってる」とか「この仕事は、年中無休だ」とか、「世知辛い世の中」についてとか、跡継ぎの息子さんについてとか、あと室外機がものすごい重いって話だ。室外機の重いのは、40キロくらいになるらしく、3階にある俺の部屋まで20キロ近いそれを運びながら引退を考えたって話をしてくれた。
ぼくは、おっさんの話がおもしろかったのもあって、すこし取り付け作業を手伝ってみた。といっても、エアコン穴にパイプを通すときに、すこし手を貸しただけだけど。おっさんはすこし意外そうな半笑いをうかべて「おぉ。ありがと、ありがとう。」といった。のど渇いてるかな、とおもってジュースをすすめてみたが、「いらないよー」と語尾を延ばしていわれたので、ぼくは「まぁ、そうだよな」とおもった。
四時ごろ、工事が終わった。
エアコンが作動するかどうか、おっさんがチェックしはじめたので、ぼくは「もう帰るだろうな」と思って「コンセント工事」のお金を出そうとしたが、「いらないよー」といわれた。
「あの、工事ちょっと手伝ってくれたしさ。まぁ、二千円をもらうことになってるんだけど、いらないや。」そういわれた。「え、いや、でも」といったら「いらないいらない、いらないから」と3回もいらないを連呼されたので、ありがたや、と感謝しつつ、僕は玄関からフェイドアウトしていくおっさんに向かってお礼をいった。
部屋に戻って、テレビをつけたけど、何も面白い番組がなかった。
別に暑くなかったけど、リモコンで冷房をつけてみた。
うすげのおっさんが取り付けた機械からは、とてもすずしくて気持ちのいい空気が出てきた。
ぼくはやっぱり、「エアコンって、便利だなぁ」とおもった。
いぬ色センチメンタル
2008年6月3日言い放ってみて気づいたのは、受け止める人がいない言葉の行方である。ほら、また口から漏れる独り言。別に、それを取り締まる法律なんてないんだから、口に任せてはかせときゃいいのに、自制してみたりする。わるくはないがよくもない。
今日は小学校のときにかっていた犬の命日だ。
そんなこと、いまも覚えてるのはおかしな話だけど、小学校二年の今日、家から帰ってきた僕は、母親にその犬が死んだことを知らされた。その時間、母親が家にいるのは、めずらしかった。たまたまパートが休みだったのかもしれない。
たしかに、外に首輪をつながれたまま、黒いものが横たわっていた。
あの犬が何歳で死んだのかは、わからない。道端でひろってきた雑種だったから、誕生日も、うまれた年もわからなかった。うちに来たときには、もう子犬じゃなかったのだ。
その日が印象的だったのは、僕が生まれてはじめてステーキを食べた次の日だったからだ。金持ちの家じゃなかったので、それまで分厚い肉を食べたことなかった。この日が給料日でもないし、本当に不思議な話だけど、父親が6月1日に「ステーキが食いたい」といって、次の日には食卓にステーキが出た。でも、僕は、全部食べ切れなかった。欲張って頬張って、すこし噛んでから満腹にきづいたからだ。きたないけど、最後の一切れは、お皿に出してしまった。涎のついた肉をみて、また口に入れるのはすこしいやだったけど、もったいないと思った。だから、ロンにあげることにした。ロンっていうのは犬の名前だ。
皿をもったまま外に出て、冷えて白くなった脂身や唾液まみれ肉片を、噛み痕のある赤いプラスチックのプレートにいれた。ロンは、ぺろぺろと舐めたあと、口にいれていた。すこしいいことをしたような気がした。ステーキを食べるなんて、お金持ちの犬くらいだ。ステーキと犬の死に、因果関係があるのかわかんないけど、無関係じゃない気がする。
小学校二年のときの六月三日の夕食は、「やきそば」だった。僕は、ごはんを食べた後、母親が食器を洗うのを待って外に出た。そのあと、犬の死体を麻の袋に入れて、軽自動車のトランクにのせたあと、となりまちとの境にある橋に行った。川に捨てるためだ。
橋に行くまで、うきうきするわけはなく、もっとやさしくしてあげればよかった、とおもった。やっぱり涙がでた。喉がひくひくするくらい泣いて、車が橋の中間で停まったあと母親と一緒に、川にロンの死体を落とした。
それから三日間、かなしい気分はつづいたけど、
一週間もせずに立ち直った。
それからも犬や猫を飼ったけど、
ペットが死んで泣いたのは、二十五年間でそれだけだ。
あんまり動物にやさしくしたこともない。
そんな独り言。
でも、書いてしまうと独り言じゃなくなるのかな。
というのは全部うそだ。
今日は小学校のときにかっていた犬の命日だ。
そんなこと、いまも覚えてるのはおかしな話だけど、小学校二年の今日、家から帰ってきた僕は、母親にその犬が死んだことを知らされた。その時間、母親が家にいるのは、めずらしかった。たまたまパートが休みだったのかもしれない。
たしかに、外に首輪をつながれたまま、黒いものが横たわっていた。
あの犬が何歳で死んだのかは、わからない。道端でひろってきた雑種だったから、誕生日も、うまれた年もわからなかった。うちに来たときには、もう子犬じゃなかったのだ。
その日が印象的だったのは、僕が生まれてはじめてステーキを食べた次の日だったからだ。金持ちの家じゃなかったので、それまで分厚い肉を食べたことなかった。この日が給料日でもないし、本当に不思議な話だけど、父親が6月1日に「ステーキが食いたい」といって、次の日には食卓にステーキが出た。でも、僕は、全部食べ切れなかった。欲張って頬張って、すこし噛んでから満腹にきづいたからだ。きたないけど、最後の一切れは、お皿に出してしまった。涎のついた肉をみて、また口に入れるのはすこしいやだったけど、もったいないと思った。だから、ロンにあげることにした。ロンっていうのは犬の名前だ。
皿をもったまま外に出て、冷えて白くなった脂身や唾液まみれ肉片を、噛み痕のある赤いプラスチックのプレートにいれた。ロンは、ぺろぺろと舐めたあと、口にいれていた。すこしいいことをしたような気がした。ステーキを食べるなんて、お金持ちの犬くらいだ。ステーキと犬の死に、因果関係があるのかわかんないけど、無関係じゃない気がする。
小学校二年のときの六月三日の夕食は、「やきそば」だった。僕は、ごはんを食べた後、母親が食器を洗うのを待って外に出た。そのあと、犬の死体を麻の袋に入れて、軽自動車のトランクにのせたあと、となりまちとの境にある橋に行った。川に捨てるためだ。
橋に行くまで、うきうきするわけはなく、もっとやさしくしてあげればよかった、とおもった。やっぱり涙がでた。喉がひくひくするくらい泣いて、車が橋の中間で停まったあと母親と一緒に、川にロンの死体を落とした。
それから三日間、かなしい気分はつづいたけど、
一週間もせずに立ち直った。
それからも犬や猫を飼ったけど、
ペットが死んで泣いたのは、二十五年間でそれだけだ。
あんまり動物にやさしくしたこともない。
そんな独り言。
でも、書いてしまうと独り言じゃなくなるのかな。
というのは全部うそだ。
あめふり
2008年6月2日週末は叔父さんの家に行って来た。
とてもよくしてもらった。こいつはもう感謝である。
叔父さんちに行く前に、伊勢神宮に行ってきた。あんまり萌える参拝にならなかった。
かっこいいお守りもなかったのだ。外宮しか見てないからかな。
帰り道、信号待ちでモナー神社のほうがいいなとおもった。
昨日は、競馬場に行って来た。
競馬場にはおっさんがたくさんいた。
テレビモニターに向かって一生懸命応援するおっさん、地団太踏むおっさん、ゴミ箱に馬券や競馬新聞を捨てるおっさん、ビールくさいおっさん、年齢不詳のおっさん。
おっさん。
年取ったらおっさんになるのだ。
こうやって、25歳の男に裏で不当な評価を書かれるようなおっさんに。
あぁ、どんとこいおっさん人生。
でもまぁ、おっさん道もいろいろある。
ちょいわるおっさんに、おひとよしおっさん、ラディカルおっさんに、職人おっさん。
わすれてならないのは、やはりエロエロおっさんである。
男に生まれたからには、すてきなおっさんになりたいものである。
せめて老人になるまえに。
とてもよくしてもらった。こいつはもう感謝である。
叔父さんちに行く前に、伊勢神宮に行ってきた。あんまり萌える参拝にならなかった。
かっこいいお守りもなかったのだ。外宮しか見てないからかな。
帰り道、信号待ちでモナー神社のほうがいいなとおもった。
昨日は、競馬場に行って来た。
競馬場にはおっさんがたくさんいた。
テレビモニターに向かって一生懸命応援するおっさん、地団太踏むおっさん、ゴミ箱に馬券や競馬新聞を捨てるおっさん、ビールくさいおっさん、年齢不詳のおっさん。
おっさん。
年取ったらおっさんになるのだ。
こうやって、25歳の男に裏で不当な評価を書かれるようなおっさんに。
あぁ、どんとこいおっさん人生。
でもまぁ、おっさん道もいろいろある。
ちょいわるおっさんに、おひとよしおっさん、ラディカルおっさんに、職人おっさん。
わすれてならないのは、やはりエロエロおっさんである。
男に生まれたからには、すてきなおっさんになりたいものである。
せめて老人になるまえに。
汚したくない黒、すこしだけ濁った。
2008年5月25日横を向くと驚いた骸骨みたいな顔の女性がちょうど屁をこいた。僕は「くせっ!」と思いながら、彼女のひねりだしたメタンガスとそれを僕の鼻腔まで運んだそよ風について考えていた。こころのなかで「いいんだよ、屁をこいたって」そうおもった。
とても清々しくていい天気だった。
放屁犯の彼女の頬をつたって、黒いアイラインの溶けた涙が零れた。
鼻水をすすったあと涙をぬぐった彼女は、僕をちらりと見て、ブドウの種を吐き出すみたいに唾を吐いた。
■□■□■□■□
ひまなので書いてみた。おもろいかな、と思ったけど。
とにかく持久力がない。
なかなか夢中になれるものが見つからない。
ただ、料理はたのしい。何も考えなくていいから。
とても清々しくていい天気だった。
放屁犯の彼女の頬をつたって、黒いアイラインの溶けた涙が零れた。
鼻水をすすったあと涙をぬぐった彼女は、僕をちらりと見て、ブドウの種を吐き出すみたいに唾を吐いた。
■□■□■□■□
ひまなので書いてみた。おもろいかな、と思ったけど。
とにかく持久力がない。
なかなか夢中になれるものが見つからない。
ただ、料理はたのしい。何も考えなくていいから。
今は名古屋に住んでいます、って誰に語ってんだかわかんないけど。
仕事に就いて、毎日9時から5時のペースで働いています。
悩みは遠距離恋愛。
なかなかつらいなぁ、これ。
仕事に就いて、毎日9時から5時のペースで働いています。
悩みは遠距離恋愛。
なかなかつらいなぁ、これ。
闇金ウシジマくん 1 (1) (ビッグコミックス)
2008年1月10日 読書
親元で暮らし、しっかりとした経済基盤を持っていないフリーターの私には、とても怖いマンガでした。
あらすじはというと、カウカウファイナンスという闇金会社の社長・ウシジマくんが、困っている人にお金を貸して、取立てをする話です。
その困っている人というのが、困った人で、パチンコ依存症の主婦だったり、見栄っ張りなOLだったり、自我が肥大化して根拠のない全能感にひたっているフリーターだったりします。
共通するのは、収入を上回る消費をしているということです。彼らの収入を読者に提示するために、彼らの仕事っぷり、無職っぷりも描かれていますが、消費生活に重点が置かれて描写されている印象を受けました。
(稼ぎ以上につかっちゃだめじゃん。とおもったのだけど、ローンのない人はあまりいないだろうから。そうとも言い切れないな。)
うさぎ好きなウシジマくんは、返済の滞るような困ったお客さんには情け容赦なく取立てを遂行します。お客さんが返済しないと、ウシジマくんが闇金の元手にしているお金を返せないからです
ただ、この物語を魅力的にしているのは、やはりダメ人間見本市のようなストーリーを構成している、その困ったお客さんたちだとおもいます。かれらは、5万円のような小さな借金を膨らませて、ひどい負債を抱えるハメになるのですが、その八方ふさがり具合といったら、読んでいるだけの私がいきぐるしくなるほどです。
出てくる登場人物にいちいち感情移入している自分のだめっぷりを再認識し、平和ボケしてちゃいかんなぁとおもったのでした。
がんばろうと思えます。
1巻のおそろしさだけを読んで、終わるはもったいないです。
すくなくとも9巻まで、読んで欲しいです。
このストーリーをリアルホラーと呼ばせる現実の、ざらついた部分だけでなく、希望を感じられるから。
個人的には、あの自転車を漕ぎ出すシーンがとてもよかったです。
それと、私自身は、リアリズムの手法で読者に、いたずらに恐怖感を残すような作品は評価すべきではないと思っていました。
ただ、この作品に登場する反面教師な人々は、わたしたちに大事なことを伝えているように思います。
すくなくとも読んだ人はこう思うでしょう。
闇金に金借りちゃおしまいだなぁ、って。
当たり前なことだけどね。
あらすじはというと、カウカウファイナンスという闇金会社の社長・ウシジマくんが、困っている人にお金を貸して、取立てをする話です。
その困っている人というのが、困った人で、パチンコ依存症の主婦だったり、見栄っ張りなOLだったり、自我が肥大化して根拠のない全能感にひたっているフリーターだったりします。
共通するのは、収入を上回る消費をしているということです。彼らの収入を読者に提示するために、彼らの仕事っぷり、無職っぷりも描かれていますが、消費生活に重点が置かれて描写されている印象を受けました。
(稼ぎ以上につかっちゃだめじゃん。とおもったのだけど、ローンのない人はあまりいないだろうから。そうとも言い切れないな。)
うさぎ好きなウシジマくんは、返済の滞るような困ったお客さんには情け容赦なく取立てを遂行します。お客さんが返済しないと、ウシジマくんが闇金の元手にしているお金を返せないからです
ただ、この物語を魅力的にしているのは、やはりダメ人間見本市のようなストーリーを構成している、その困ったお客さんたちだとおもいます。かれらは、5万円のような小さな借金を膨らませて、ひどい負債を抱えるハメになるのですが、その八方ふさがり具合といったら、読んでいるだけの私がいきぐるしくなるほどです。
出てくる登場人物にいちいち感情移入している自分のだめっぷりを再認識し、平和ボケしてちゃいかんなぁとおもったのでした。
がんばろうと思えます。
1巻のおそろしさだけを読んで、終わるはもったいないです。
すくなくとも9巻まで、読んで欲しいです。
このストーリーをリアルホラーと呼ばせる現実の、ざらついた部分だけでなく、希望を感じられるから。
個人的には、あの自転車を漕ぎ出すシーンがとてもよかったです。
それと、私自身は、リアリズムの手法で読者に、いたずらに恐怖感を残すような作品は評価すべきではないと思っていました。
ただ、この作品に登場する反面教師な人々は、わたしたちに大事なことを伝えているように思います。
すくなくとも読んだ人はこう思うでしょう。
闇金に金借りちゃおしまいだなぁ、って。
当たり前なことだけどね。
背中を向けたままの彼女と手をつないだ。呼吸する肩をみつめながら、彼女の指の隙間に自分の指をかさねて、マニキュアの塗られた爪に触れる。彼女はなにもいわなかった。
胸をつまらせたのは、彼女の言葉じゃなくて、沈黙のほうだったとおもう。しばらくして彼女がふり向くまでの間、いきぐるしい気分で、僕はオーディオから流れる音楽にただ耳をかたむけていた。
追記
一緒にいるとどうしたらいいのかわからないときもあるけど。
ひとつひとつの経験を、大切にしていけたらいいとおもう。
胸をつまらせたのは、彼女の言葉じゃなくて、沈黙のほうだったとおもう。しばらくして彼女がふり向くまでの間、いきぐるしい気分で、僕はオーディオから流れる音楽にただ耳をかたむけていた。
追記
一緒にいるとどうしたらいいのかわからないときもあるけど。
ひとつひとつの経験を、大切にしていけたらいいとおもう。