出版社 / 著者からの内容紹介
「わたしはどこの者か? わたしは子ども時代の者だ」『夜間飛行』『人間の大地』などの作品で国内外で高い評価を受けた、サン=テグジュペリ。彼が唯一、子どもたちに向けて書いたのが『小さな王子さま』である。
ナチスドイツのフランス侵攻に際し、苦渋の選択の結果、サン=テグジュペリはアメリカへ亡命した。母国に、無事を気遣う多くの人びとを残して。なかでも、もっとも心を痛めたのは、ユダヤ系で年長の親友、レオン・ヴェルトの安否だった。『小さな王子さま』は、この親友へ捧げて、1942年の夏にアメリカで書かれた。数年前からカフェのナプキンや紙切れの上に繰り返し現われた、不思議な服を着た子ども「小さな王子さま」を、「機械工のような正確な手つきで子ども用の小さな絵筆を熱心に動かし、はみ出ないようにと舌先をのぞかせ」ながら描き、友への思いをこめて執筆されたこの宝石のような物語をのこして、サン=テグジュペリは、北アフリカの戦列に復帰。翌年、この、子ども時代の国に棲みつづけていた作家は、偵察飛行中に、地中海上空で消息を絶った。
〈心で見なくちゃよく見えない。大切なことは目には見えないんだよ〉〈きみのバラをそんなにも大切なものにしたのは、きみがきみのバラのためにかけた時間だ〉〈きみは自分が飼いならしたものに永遠に責任を負うことになる〉 サン=テグジュペリの小説世界を品格ある日本語で届けてきた山崎庸一郎による翻訳に、物語にかくされた秘密を読み解く丁寧な読みのヒントを、図版入りの註として付す。


2007年も、もう残りわずか。

今年は、学業や仕事の面から見るなら、何の進歩もない一年だったのかもしれない。むしろ、去年の今頃に出願したカナダの大学院に落ちたこともあって、いますぐ留学するというのはあきらめたりしたし、英検を受ける時期以外には、ほとんど英語の勉強をしていないし、就職もしてない。
いまだにレンタルビデオ屋のカウンターで働いているのだ。

ただ、そう書くと、とても不幸せそうだけれど、そんなこともない。
むしろ、けっこう幸せな気がする。
 
いまはすごく大切にしたい人がいて、その人のために時間を使うのがとてもうれしい。
その人のために使う時間が自分のためみたいな感覚。

2・3年前はちがったとおもう。「世界の中心で愛を叫ぶ」みたいなドラマも、昔、大学にいたときに居酒屋で見たときは、へたれ顔で走る山田君を見て心の底から爆笑できたのだ。

それをみていて思ったのは「うわー、かわいそうなヤツだな。」ってことだ。

でも、実際に恋愛してみて発見したのは、ひどく深みにはまっている自分だった。

最近は、いちいち感情移入していて困る。
たぶん、彼女が死んだら、おれもヘタレ顔で走るだろう。
そして、わざわざ、オーストラリアまで灰を撒き散らしにいくかもしれない。
それぐらい、ずぶずぶと肩まで深みにはまっている。
最近は、昼にやってるウンコみたいなクソドラマでも泣けるのだ。

スーファミでマリオやったり、一緒に買い物したり、ごはん食べたり、寝たり、働いたり。
時間を重ねるごとに、大切に思えたりなんだり。
共有した時間分、自分のなかで、その人の存在が特別になっていく気がしてしまう。
そういうのも恋によってるだけなのかもしれないけれど、もしそうだとしても、今みたいな気持ちを忘れずに、ずっと彼女を大切にしていきたいとおもう。

いま疑問に思うのは、どうして新婚のときに熱々だったバカップルが、いつの間にか冷めきっちゃうのかなってことなのです。

こういうオノロケみたいな文章をのせるのはふさわしくないのかもしれないけど。
もし不愉快だったらごめんね。というか、はずかしいよね、こういうくさいのって。

追記
「星の王子様」、はじめて読んだのだけど、とてもいい本です。

たぶん、むずかしいんだろうけど、嫌だなって思う部分が愛せないのは、
その人より自分を大切にしている証拠だとおもう。

なんちゃって。お前が愛を語るな俺。
スーパーファミコンで出た最初のスーパーマリオ作品


今日は彼女とスーパーマリオワールドをしました。
とても楽しかったです。バイト先の人に売ってもらったのです。
1000円で。背中の黄ばんだカセット。高いかな

名作です。めちゃめちゃおすすめです。

そして、マリオブラザーズって、ラストネームはなに?

千原兄弟は、千原が名字ってことは。
マリオ兄弟は、マリオが名字?

じゃあ、マリオは「マリオ・マリオ」で、
ルイージは「マリオ・ルイージ」なのか。

追記
午前一時にゴーストタウンになった地元のシャンゼリゼ通り(うそ)を彼女とドライブした。思っていたよりも自分が自分の住む町についてベラベラ喋っていて、びっくりした。おそるべし、郷土のチカラ。
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どんな人にも、コンプレックスや他人には言えない秘密がある。映画のキャラクターは、それらを大げさに描きつつ、共感させるものだが、本作は、このパターンを完璧に実現した好例だ。ビューティ・コンテストに出る夢を持つ9歳のオリーヴが、「リトル・ミス・サンシャイン」というコンテストに繰り上げ出場することが決定。家族はミニバスを借り、会場のあるロサンゼルスを目指す。ヘロイン中毒の祖父や、一言も口をきかない兄、ゲイで自殺未遂を起こしたばかりのおじさんなど、問題だらけの彼らには、予想どおり波乱の道中が待つのであった。
オープニングの食事シーンだけで、家族全員の性格と役割が伝わってくるなど、演出と脚本、演技のすばらしさに感心するばかり。故障したミニバスを押しながら発進させるシーンに象徴されるように、家族のチームワークが余儀なくされるにつれ、それぞれが問題を乗り越えていく姿は観ていて微笑ましい。走る車内にカメラを据えるなど、低予算ならではの凝った映像も見どころ。強く美しい者が優れているという、現代アメリカ社会へのアンチテーゼも込められたラストは、家族の絆と各キャラへの愛おしさが最高潮に達し、目頭が熱くなる。笑いとともに人間への愛を見つめた秀作。(斉藤博昭)


とりあえず上のレビューに共感。

この映画を見て、何の共感も出来ない人がいるのかわからないけれど、そういう人たちはきっと満ち足りていて、とても幸せな人生を送っているんだとおもう。100パーセント肯定的な意味合いで、うらやましい。

ただ、逆に、つまらないんじゃないかなぁ、とおもう。

誰かの苦悩、ってやつは、「ざまあみろ」と思わせることもあれば、感動的でもあるからだ。目の前の状況に対して、なにかをしたいとおもわせるからだ。そいつが自分の身を切るほど切実であればあるほど、苦悩の傍観者って役割から、遠ざかりたい欲望が生まれるとおもう。

どうしてなのかわからないけれど、それを見た自分にも「苦しい」と感じる部分があって、そいつを取り除きたい気分になる。

それでも、どうしたらいいのか。わからないから何もしないこともある。なにもできない、役立たずな気分になったりする。もしくは、どうしたらいいのかわかったつもりで、ありがた迷惑な行為をしでかすこともあるとおもう。良心的な人間がいつも、周りにとって良心的な結果を残しているとは限らない。

「リトルミスサンシャイン」はとてもいい映画だ。

僕は、オリーヴのダンスシーンであほらしいなぁって笑いながら、泣いていた。ひさしぶりにわけのわからん感情を味わった気がする。家族がみんな、ほとんど的外れなやり方で、励ましたり踊ったり、抱きしめたり、一生懸命、やさしくしたいと思っていたからだ。

疎外感とか、大切な人をなくしたときや好きな人に愛されないときの悲しさとか、エロ本を買うのを知人に見られたときの恥ずかしさとか、見た目のコンプレックスとか、やりたいことをあきらめさせるような挫折とか、勝者と負け犬といった見方しかできない寂しさとか、傍から見てどんなにちっぽけに見える苦悩も、抱えている当人にとっちゃ、全然ちっぽけじゃないとおもう。

個人的には、その人たちを大切だとおもったら、時間をかけてでも理解してあげたり、どうにかしてあげたいとおもう。
そうじゃないと、自分ばっか愛してちゃ、すごくさびしいとおもう。

恋愛とかに限らず、家族とか、友達とか。どうにかしてあげたいとおもったときに、もしかしたら失敗するかもしれないけれど、空回るかもしれないけれど、何かしたい。

「リトル・ミス・サンシャイン」はそんなふうに思わせる作品でした。

実際、どうしたらいいのかわからず、おろおろすることが多いからかもしれません。

監督は、スマパンの「1979」や「Perfect」やレッチリ「By The Way」のミュージックビデオを監督していた夫婦らしいです。
映像もいいですが、脚本がとてもいいので、よかったら見てみてください。
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結婚情報誌のCMソング「ウエディング・ソング」で、初めて人の書いた歌詞をオリジナルとして歌ったことを契機に結実した"ラヴソング・アルバム"。なのだが、そのテーマから想像できる範疇を軽く超える凄まじいロックンロールがここでは鳴っている。人気ミステリー作家・伊坂幸太郎が一度、短編小説を書いた上で歌詞にしたというM1のラップ顔負けの言葉数の多さ、ジョン・レノンや南佳孝の名曲のカバーでの情けない男っぷりの"良さ"、エロスでむせかえる早川義夫の原曲「天使の遺言」を不思議なピュアネスで聴かせる個性など、改めて斉藤和義という人の歌い手としての懐の深さを実感できる佳作、いや、意外に問題作。(石角友香)


最近、聴いています。聞かず嫌いしていたJポップ周辺ですが、ここ2・3年はいろいろなものを聞いています。斉藤和義やCKBは、きっとそのカテゴリーに入るのだろうけど、かなり好き。
山崎まさよしの「いかれたBABY」のカバーも嫌いじゃないし(「トランジスタ・ラジオ」のカバーはいただけない)、チャットモンチーも、嫌いじゃない。いや、「シャングリラ」とかけっこう好きなのです。大きな声ではいえませんが。
青いジャケットのアルバムを借りたけど、それしか聞いていません

Radwimpsとかもおもしろいとおもう。メンバーの若さを考えれば、歌詞のはずかしさもありっちゃありだ。一部の曲は変すぎて、そういう恥ずかしさ突き抜けた感動がある。

んで、このアルバムは、最近よく聞いてるものです。お涙頂戴なアレンジが気になるときもあるけど、そういうのは、すっ飛ばし、ださかっちょいい曲を楽しんでいます。

スローなブギにしてくれ、とか。かっこいいです。

ほかのアルバムだけど、斉藤和義は、「歌うたいのバラッド」や「歩いて帰ろう」がすきです。

「歩いて帰ろう」とか、帰る家があるっていいなぁ、とかおもいつつ聞いていたら、このまえ、涙してしまいました。
その話を聞いた彼女には「あほじゃーん」と笑われ、なま暖かい視線をもらいました。

ホントひどい、涙腺ゆるすぎ。
内容(「CDジャーナル」データベースより)
ロックンロールを追求し、骨太ながらもカラフルなサウンドに仕上がったセカンド・アルバム。リズミカルな歌詞、サウンドのアイデアからあふれるオリジナリティに一層磨きがかかった作品。


ローザ・ルクセンブルグを知ったのは、youtubeでボ・ガンボスの映像を見たからだったとおもう。そこでみた動画は、テレビの画面をビデオカメラで撮影したもので、「橋の下」だった。手持ちなのか、ひどくぶれた映像だった。動画をアップしたひとは、ビデオを持っているくらいだから、リアルタイムで聞いていたんだとおもう。

すごいよかった。

でも、あまりお金もないし、購入できなかった。で、先週、姉に誕生日プレゼントでくろいジーンズを買ってもらったときに寄ったタワレ子で、「Snoozer」のディスクガイドを立ち読みしたら、このアルバムが上位になっていて、やっぱりいいのかなぁ、とおもって家に帰り、あらためてくるりの岸田さんのカバーなどを見て、買うことにした。

今日、とどいたのだ。
そんなこんなで聴いてみて感想。

とりあえず、「橋の下」みたいな曲を想像していたぼくは、「デリック物語」などの、ラップのないレッチリみたいにファンキーな曲に驚いた。ああいうのって、スライ・アンド・ザファミリーストーンの80年代的解釈かな、レッチリの白人的な解釈とローザルクセンブルグの黄色人種的解釈、どちらもパンク・ハードコア文化を通過後にファンクロックの領域にアプローチしてるけど、黒人のファンクミュージックとは、どこか違うという意味でふたつの音楽は似ているのかも。
ジョージ・クリントンみたいに粘着的にひとつのグルーヴを意識しすぎてなくて、すき。

それでいて、「橋の下」のようなうたには清志郎みたいな生活感がある。「橋の下」は、その生活感がさびしくてどこかかなしい幻想的な曲、ヴェルヴェッツの「I’m Set Free」に日本の叙情性持ち込んだみたいな感じ。
でもね、ぜんたい、村八分のような独創性のある日本語詞が、メロディにのっかっていて気持ちのよいロックンロールになっているのです。おどれます。

変なだなぁ、っておもう曲もあるけどね。
「テレビ28」、「フォークの神様」はいまのところいまいち苦手です。

ニューウェーヴ好きにもおすすめ。
すっごいいいので聞いてみてくださいな。

追記
きょうは彼女とやまねこ軒に行った。とてもおいしかった。
また行きたいね、という話をした。先生の村上春樹本をやっと購入した。

おもろい。

フライドポテト

2007年11月7日
左手ひとさし指の爪の、つやのある尖端のうつくしさをフライドポテトに食い込ませた彼女は、うっすらとグロスが塗られた唇へそいつをはこんだあと、咀嚼しながら、声のない顔で宙をみた。

僕は、食べるのに飽きて、油で汚れた指の皴を、ティッシュペーパーにこすりつけると、彼女のよれよれの指紋が半透明に滲んだ白い紙を、ごみ箱になげた。

かもめ食堂

2007年11月1日 映画
内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
人気作家・群ようこの原作を、『バーバー吉野』の荻上直子監督が小林聡美主演により映画化。フィンランドのヘルシンキで「かもめ食堂」を経営する日本人・サチエの前に、ある日ミドリとマサコが現われ、店を手伝い始める。※一般告知解禁日:8月1日


隣の畑は青い、いや、違う。となりの芝生は青いのだ。私自身、その青さには、たじろいだことは少なくない。そばを頼んだときに、母親の食べているカツ丼がうまそうに見えたり、つまらない本を読んでいるときに階下でテレビを見ている両親の爆笑が聞こえたり、就職せずに留学しようとおもって実家でバイト生活をする自分と、自立してかっこよく見える正社員な元同級生たちなどなど。枚挙にいとまがない。

大抵、よく見えるのだ。外、って。
そんなこんなで、自分ばっか苦労してるようにおもったりなんだりして負のスパイラルに落ちてしまったときには、おそろしいくらいにじみ出しちゃったりしている。負け犬オーラ。

でも、意外と、大差がなかったりする。カツ丼を食べれば、ラーメンにしときゃよかった。テレビを見ていれば、本を読んどきゃよかった。正社員になれば、苦労が多くて、こいつは俺のやりたかったことじゃない、なんていいかねない。少なくとも、自分にとっては、それがリアルな気がする。

反面、どの道選んでもおいしさがあったりする。ラーメンもうまいし、本を読むときの興奮もあれば、時間があることは悪くなかったりする。ぬるすぎて出られないこともあるけどね、あいたたた。

その点、かもめ食堂は、すっごくよく見える。うらやましいなぁ。フィンランド行きてぇなぁ、なんておもったりなんだり。でも、フィンランド行っても、変わらないのだ。きっと青いのだ、隣の芝生。

彼女たちはフィンランドにいるから、うらやましく見えるのかもしれないけれど、それだけじゃない。小林さんのやさしくて凛とした美しさも、もたいさんの演技に流れるゆったりとした時間も、片桐さんの行き当たりばったりにみえる自由さも、フィンランドの背景じゃなくても見えただろう。彼女たちの、他の作品をみればわかるだろう。

いまここじゃだめだと、ここが自分をダメにしてる、っておもいたいときもあるだろうけれど、きっとそんなことはなくて、自分をだめにしてるのはだれでもなく自分な気がするのでした。

まえから気になっていたので見てみた。
「バーバー吉野」のほうがすきかな。

みんなお金持ち、なんだもの。
生活を描いているようで、お金という概念がすっぽり抜け落ちているように見えるのです。かなしい人も出てくるけど、舞台がユートピアや、切り離された社会に見える。

「バーバー吉野」のほうが、幸福について、お金から切り離されない地点で描いているような気もしなくない。

ただ、経済とか、そういう流れにとらわれてないところが、この映画のいいところだともおもう。
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山々に囲まれた田舎町。そこの小学生たちは皆、額の上で前髪をピッチリそろえたおかっぱ頭“吉野ガリ”で100年以上も統制されており、町の床屋「バーバー吉野」のおばちゃん(もたいまさこ)はそのヘンテコな伝統をかたくなに守っていた。しかし、ある日東京から転校生が現われ、吉野ガリのヘンテコさを指摘したことから、町は一大騒動へと発展していく…。
PFF出身の新鋭・荻上直子監督の長篇劇映画デビュー作。大自然の中、まるで修道士のように映る少年たちの思春期の始まりをみずみずしく捉えながら、悪しき(?)伝統と対峙していくコメディー映画である。ご想像の通り、もたいまさこが何とも言えない味わい深い怪演を見せてくれている。元少年だった立場の者からすると、劇中の少年たちはどことなく女性の視点で神格化されすぎているような違和感も覚えるが、これまで男性監督が少女を神格化する作品ばかり撮ってきた映画史的事実を振り返るに、これでおあいこといったところか。透明感あふれる全体のタッチには、この新鋭監督の未来を大いに期待させるものがあった。(的田也寸志)


今日は、3まいのDVDをかりてきた。
帰宅後、ぼーっとして午前2時だったので、4時に寝るつもりで、一番みじかい「バーバー吉野」をみた。

おもしろいし、なきそうになってしまった。
ただ、わたしははなはだなみだもろく、映画の予告編でさえ涙目になるくらい私の眼球は、涙を量産しておりますので、どうか信用しませんように。

内容は、小さな村に昔からあった風習、男子はみな同じ髪型「吉野ガリ」にするという伝統が、東京から来たかっこいい髪型の転校生によって、変わっていく話。

同じ髪型の強要は、アイデンティティーの危機?
んな、アホな、とおもってしまうのが大人で、そりゃ大人はそんなもんでアイデンティティーの危機に陥っていたら生活が成り立たないもの。でも、実際、前髪けなされただけで、一日落ち込んじゃうような人もいるのが、この世界なのだ。とわたしはおもう。

かっこいい髪型。なれるものならなってみたいものである。かくいうわたしの髪は、公然猥褻こけしカットの成れの果てのように、だらしなくのびきっており、その思いは一塩である

天狗祭のシーン、わたしはお母さん、かわいそうだなぁと思って見ていた。ガキンチョ、かっこいいこと言ってるけど、吉野君のお母さんの気持ちはどうなんの。みんなの敵みたいじゃないか、「吉野ガリ」はたしかにだっさいけど、でも、自分がおかあさんだとおもったら、むねがくるしい。

でも、すぐに、自分が思いを重ねていたのは、お母さんだけじゃなく、吉野君の心情だったんだとわかった。それは、決意表明のあとの吉野くんのセリフが、ただの傍観者である自分ととっても似ていたからだ。いや、むしろ映画に引き込まれて、かれに感情移入していたのかもしれないけど。

誰かを説得しようとするのって、ホネが折れる。

その過程で、相手を傷つけてしまいかねない。それに、結局、自分の言い分に合わせて、他人をコントロールしようとしているんじゃないかともおもう。

言いたい事をそのまま言葉にするのは、むずかしくないけれど、相手に届くように、傷つかないように伝わるようにいうのはむずかしいって話なのかもしれない。でもどうだろう、そんな教訓にはまらない映画なんかな。

単なるリベラル礼讃に終わらなかったところがよかった。

星4.25くらいだとおもう。映像はわりときれいだし。こだわりが感じられて好き。生活という視点に近い。でも、外の世界が見えないし、あんまり、やさしくない人がいないから。

どこに行っても、絵に描いたような悪人っていないんだろうけど、それでも、この映像世界だけで通用するようなやさしさだったりしないかなぁ、とおもってしまうから
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まるで時代をタイムトリップしたかのような賄い付きのレトロな下宿を舞台に、そこに集う多種多様な女性たちによって繰り広げられるあまりにも日常的にして、あまりにも非日常的な人生の悲喜交々を綴った大人のアンサンブル・ドラマ。
1983年の風俗三昧の冒頭から2003年にドラマは一足飛びするも、漂うノスタルジーは全編を通じて変わることがない。一見、何気ない日常を扱っているようで、実は常に人生の一大事を見つめているところがこのドラマのミソだ。ほのぼのテイストにオブラートして、出るわ出るわの根源的な人生の問いかけ。そしてドラマを見終わった後には、たまらなく人間がいとおしく思えてくる。そろいもそろった異色女優陣の掛け合いは、そのいずれもが見ごたえあり。3 億円横領犯としてドラマを通して逃走中の馬場ちゃん(小泉今日子)の境遇が、ドラマに絶妙のアクセントを与えている。(麻生結一)

内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
小林聡美やともさかりえ、小泉今日子ら実力派のキャストで贈るコメディドラマの4枚組BOX。性格も境遇も違う5人の女性たちが、ある下宿での生活を通して自分を見つめ直し、それぞれが少しずつ成長していく姿をユーモラスに描く。全10話を収録する。


登場人物のほとんどが善人だけれど、この物語のなかでしか通用しないやさしさなのかもしれないけれど、このドラマはすごくよく出来ていて、日常に近い気がする。

おおげさじゃない物語が、すごくいいです。

木皿泉は、「すいか」以外にも「セクシーアンドボイスロボ」なんかの脚本を書いていた人。
どちらもすばらしい脚本だとおもう。ふたり組みだそうです。
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2006年ヨーロッパ映画賞芸術貢献賞ほかを獲得し、映画ファンの話題をさらったファンタジックな恋愛ムービー。主演は、ガエル・ガナシア・ベルナル、シャルロット・ゲンズブール。現実では思うままにならなくても、せめて夢の中では素敵な恋愛を楽しみたい…誰でも一度はそんな思いを抱いたことがあるはず。仕事にも恋にも不器用な青年・ステファン(ガルシア)が、夢の世界で憧れのステファニー(シャルロット)との恋を成就させていくストーリーは、文字どおり“夢のように”幸せで、思わずのめりこんで観てしまう。髪がボサボサで冴えない現実の彼も、物語を追ううちにキュートに見えてくるから不思議。ステファンの中で夢と現実の境界線があいまいになってきてしまう様子にはちょっぴりヒヤヒヤするが、ほろ苦くも幸せな結末が印象的。(みきーる)


彼女が借りといてくれたので見た。

おもしろいです。結末が、印象に残りました。
静かな幸福感が伝わってくる、きれいなシーンだった気がします。

コメディではないけれど、けっこう笑える映画のような気がします。
先週と今週、ほんとうにたのしかった。
いっしょにみたまちのあかりやら星空やら。2007年の10月14日までに人の手でつけられたあかりの数はきれいだとおもうには十分すぎるくらいにすばらしくて、もうたぶん、こんなふうに感動できないとおもった。
またきっと別のことで感動するかもしれないけれど、それもきっとすこしちがうのだとおもう。だからいい。

いまのこころのありかたが、これからにつながる感じ。

ずーっとつづくといいし、そのために努力していきたい。

くさいけど、あんなふうに遠くから見ればちっぽけなあかりを、ひとつのいえで分かち合えるようになりたい。

そのくらいすきだ。

追記
レディオヘッドの新作、すごくいい。

いまだに、2枚目と3枚目を聴くことも多いけど。

「Black Star」のカバー
http://www.youtube.com/watch?v=0W5Uu64MM4k&;mode=related&search=

なけるよこりゃ。
さっき、彼女と別れたばかり、そう書くと、一年後、苦々しくおもうだろうか。いや、そんなことはない。1年後、どうなっているかわからないが、これからずっと、全くもって別れる気ゼロである。というか、別れるつもりで付き合うこと、って考えられんです。

去年の自分と今年の自分、ほとんど変わらないかもしれない。今年が一番、去年と変わっていないのかもしれない。能力とか知識とかの面で。

なんてったって、事故を二回も起こしているのだ。
擬態語で表すならボカンではない、ボカンボカンである。

でも、進歩しなくても、1年、生きのびることができたことを感謝。
彼女がいることに、しあわせを感じていることに感謝である。
感謝、感謝、言ってると変な宗教団体のような、いかがわしさが生まれるのはなぜだろう。

その感謝にウソがあるからとか?

12日、母と父、チョップ君と姪甥コンビ、それから、彼女と一緒にすきやきを食べた。すこし、彼女に緊張させてる気がしたけれど、祝ってもらえてうれしかった。

チョップ君は誕生日プレゼントにお守りをくれた。銀閣寺で買った、というそのお守りには「交通安全」の4文字が刺繍されていた。

事故、3回は起こしたくないな。

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