29歳の最後の日

2012年10月12日 日常
きょうは、20代最後の日だった。

先日、祖父が死んで、報せを受けたときにはかなしくなかったのに、通夜や出棺のときには、声を出して泣いた。(父や姉が泣いているのを見たのは久しぶりで新鮮だった。)

つめたくなった顔や指にふれて、あぁ、っておもう。
小さいころとか一緒に過ごしたころのことをおもいだす。

よく祖父の家に行って、祖母と3人で一緒にごはんを食べた。
祖母が僕のために小さなフライパンを買ってくれて、
よく目玉焼きやウィンナーを焼いてくれた。

そういうのは、すごくありきたりなことだと思っていた時期があって、
そういうのは、ありきたりでもなんでもないとわかっているつもりでいた時期があって、
そういうのは、ありきたりでもなんでもないとわかっているつもりだったのだとまた思う。

棺桶の重みとか、半分ぼけた祖母が泣いているのとか、そういうので、やっと、わかってなかったのだとおもう。自分は、いつかいなくなるひととごはんを食べていたのだ。
一緒にごはんを食べて、一緒に水戸黄門を見て、一緒に寝るのは、当たり前のことだけれど、ありきたりなことじゃない。

ただ、そういうのは、そのときには気づかなくて、思い出したとしても一年も経たないうちにわすれてしまう気がする。

わすれてしまうというより、意味としての重みを失って、軽くなっていく感じだ。

30歳になっても、たぶん、心がふわふわしてるのかもしれないけれど、そういうのを、たまにはきちんとした重みで思い出せるようになりたいなとおもう。今みたいに、大切なひとをなくさないとわかんないなら、それはもったいないような気がする。

「Ryuichi Sakamoto - Self Portrait 」
http://www.youtube.com/watch?v=NezejuPNehM

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