『愛情生活』

2009年3月18日 読書
内容(「BOOK」データベースより)
天才アラーキーの亡き愛妻がつづった愛と日常をめぐる珠玉のエッセイ集。

内容(「MARC」データベースより)
一人の男の出現によって、季節がはっきりと区切られてゆくのを、秘かに心の中に感じていた。私が20歳、彼は27歳。冬の終わりの頃だった。アラーキーの亡き愛妻がつづった愛と日常をめぐる珠玉のエッセイ集を増補し再刊。


直島にいってみたい。四国でうどん食べたり、九州でラーメンたべたり、オランダでデュビュッフェの変な形の彫刻に触れてみたい。メキシコのピラミッドもいいし、死ぬまでにオーロラも見てみたい。

きょう、仕事中に、たまたま読んだ日本語の文章に「好きになってしまったのです」と書いてあって、なんだかちょっと、どきっとした。誤解のないようにいうけど、その子が好きになってしまったのは、日本語の音なのです。

好きになってしまった、と書いたとき、きっと、その人の意図や意思とは無関係に、それを「好きになってしまった」のだとおもう。そういう、コントロールできなかった好意に接すると、理屈をはなれたところで、胸がどきどきしてしまうような気がするのです。

『Alicia Keys - If I Ain’t Got You』
http://www.youtube.com/watch?v=T1sLrRlCobY

『愛情生活』、やっと読み終えた。すこし贅沢な旅や日常生活が描かれているだけなのに、なんともいえない幸せな気持ちになる瞬間があって、いいなぁ、とおもう。

たとえば、ダイヤモンドのリングも、3ダースのバラも、それを含んだ世界も、あなたがいなければ私には何の意味もないの、って歌だったとおもう。アリシア・キーズの。

でも、それは、本当のことじゃないとおもう。誰かがいないことで、世界はすこし味気なくなるかもしれないけど、決して、意味がなくなるわけじゃない。ってやっぱり信じたい。奥さんを亡くした後に、書かれたアラーキーの本を読んでみれば、そうじゃないんだっておもえるとおもう。けれど、アリシア・キーズの曲みたいに、やっぱり、そんなふうに大げさに言いたくなる気持ちはわかる気がする。

直島も、メキシコのピラミッドも、オーロラも、一人でみても感動してしまうのだとおもうけど、好きになってしまった人とみれたら、それはもっと大きな感情とか自分に残るような気がするとおもうのです、そしたら、もっとその瞬間を写真に残したり、言葉に残したくなるような気がするんじゃないだろうか...って自分が貧乏性だからかなもしれないけど。

「愛情生活」の行間にひたひたにあふれてる幸福感は、そういう気持ちに似てるような気がするのです。
それでいて、日常のなかで、人間くささが文字通り愛情を持って描かれているから、そこにうらやましさを感じるんだとおもう。

写真家とその奥さんのオノロケを延々書き連ねたうんざりするような「夢物語」じゃなくて、ちゃんと結婚生活の現実が描かれてるとおもう。(オノロケもたっぷりあるけど。)

表紙の写真も、いい感じです。
陽子さんの写真を集めた全集(岡崎京子が書いた短い「荒木経惟論」もよめます)もあるので、そちらと一緒に読むことをおすすめしたいです。

追記
今日は、サラリーマンがバッドで素振りしてるのをみました。
おぉ、いいねぇ、とおもいました。

明日から青年の家で仕事なのです。
でも、この日のために、みんなと準備してきたので、たのしみといえば楽しみだ。

土曜日まで、たぶん、パソコンみれないです。
みなさん、またね。(まさこさまふうに手をふる)

調子こいて書いてたら午前2時。はやく荷造りしないと。

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