おそい
2008年6月6日運動会のない国に生まれたかった。だって、足おそいんだもの。
大人になった今、「運動会」なるものはないが、小学校の時には本気でそうおもっていた。
運動会の3週間くらい前から中止を祈っていたくらいだ。
たぶん、大人運動会があれば、また祈ることになるだろう。
小学校4年ときも、やっぱり運動会がいやだった。ただ、それより前とはちがうのは、運動会がなくなることより、足がはやくならないか考えていた点だとおもう。韋駄天、俊足、リレーの選手、カールルイス、ベン・ジョンソンなんでもいいから、足のはやい人間になりたかった。そうすれば、運動会はむしろ楽しくなるだろう。
だって、足速いとかっこいいじゃん。
だが、その時の僕のローレル指数は相変わらず169越えをしていた。
「肥満」ではない。「太り過ぎ」である。
あいまいに神様を信じていた僕は、とりあえず神様に祈ってみた。毎日のように、だ。
「足がはやくなりますように。」
きっと人間が神様にお願いしたことを叶えてもらえるなら、1992年の肥満児は、2008年現在、さぞかしめでたい人生を送ってるんだろう。たぶん、世界は平和だ。
もしかしたら、なくなってるかもしんないけど。
とまぁそんなわけで、やっぱり神頼みは効果なかった。
神社にいったり、寝る前に祈ったり、体育の前に祈ったり、下校中にひとり歩きながら祈ったりとけっこう努力したのだが、どんなに祈っても足がはやくなるわけはない。当り前である。
こまった。
やはりいきなり速く走れるようになるとは考えにくかった。
でもって、僕は、考えた。「きっと僕と他の人がちがうのは、走り方だ。」と。いちばんちがうのは体型だったが、それはまぁ、さておきである。
そして、一生懸命、オリンピック選手の走り方を思い出してみて気づいた。やつらは、あんまり踵をつけて走っていないのだ。そして、腕はターミネ―ター2のT1000ばりに、直角だ。
ぼくは早速、その頃、親友だった中くんに教えてあげた。
「僕、すごいことに気づいちゃったさ」と。
当時、中君は、僕より足がはやかったが、わたしの実績ゼロのアドバイスを真に受けていた。ものすごい素直だったのかもしれない、こういったのだ。「なんか足、速くなった気がする」と。当の本人の僕自身もそうおもっていた。こいつは、すごい発見しちまった。もしかしたら、1位になれるやもしれん。と。わたしたち二人は、その走り方を「つまさき走り」と命名し、下校時に「つまさき走り」スタイルで帰り道をかけっこしては、その効果を実感していた。午後二時すぎに、片田舎をT1000のようにつっ走るわたしたちの姿はさぞかし異様に見えただろう。
運動会当日、わたしはそれまでの運動会では感じたことのない自信を感じていた。
気分はもはや、ただのデブではない、走れるデブである。
おなじようにすこし太めだったライバルのサカモトくん(本当はあんまり太っていなかったかもしれない。勝手にライバル視していたのだ、ぽっちゃりだったから。)に対する優越感といったら、もうひどいもんである。
「俺はおまえよりはやいぜ、だって「つまさき走り」だぜ。とおもっていた。これも、小学校4年生の自己認識の甘さがなせる業である。
そんなこんなで、ここまで読んでくれた人の大部分がきづいているとはおもうけど、気結局のところ、徒競争の結果は、さんざんなものだった。6人中5位だったからだ。
みなさん、「つまさき走り」なんかしても速く走れませんよ。
練習あるのみです。
大人には運動会がない、まったく最高である。
大人になった今、「運動会」なるものはないが、小学校の時には本気でそうおもっていた。
運動会の3週間くらい前から中止を祈っていたくらいだ。
たぶん、大人運動会があれば、また祈ることになるだろう。
小学校4年ときも、やっぱり運動会がいやだった。ただ、それより前とはちがうのは、運動会がなくなることより、足がはやくならないか考えていた点だとおもう。韋駄天、俊足、リレーの選手、カールルイス、ベン・ジョンソンなんでもいいから、足のはやい人間になりたかった。そうすれば、運動会はむしろ楽しくなるだろう。
だって、足速いとかっこいいじゃん。
だが、その時の僕のローレル指数は相変わらず169越えをしていた。
「肥満」ではない。「太り過ぎ」である。
あいまいに神様を信じていた僕は、とりあえず神様に祈ってみた。毎日のように、だ。
「足がはやくなりますように。」
きっと人間が神様にお願いしたことを叶えてもらえるなら、1992年の肥満児は、2008年現在、さぞかしめでたい人生を送ってるんだろう。たぶん、世界は平和だ。
もしかしたら、なくなってるかもしんないけど。
とまぁそんなわけで、やっぱり神頼みは効果なかった。
神社にいったり、寝る前に祈ったり、体育の前に祈ったり、下校中にひとり歩きながら祈ったりとけっこう努力したのだが、どんなに祈っても足がはやくなるわけはない。当り前である。
こまった。
やはりいきなり速く走れるようになるとは考えにくかった。
でもって、僕は、考えた。「きっと僕と他の人がちがうのは、走り方だ。」と。いちばんちがうのは体型だったが、それはまぁ、さておきである。
そして、一生懸命、オリンピック選手の走り方を思い出してみて気づいた。やつらは、あんまり踵をつけて走っていないのだ。そして、腕はターミネ―ター2のT1000ばりに、直角だ。
ぼくは早速、その頃、親友だった中くんに教えてあげた。
「僕、すごいことに気づいちゃったさ」と。
当時、中君は、僕より足がはやかったが、わたしの実績ゼロのアドバイスを真に受けていた。ものすごい素直だったのかもしれない、こういったのだ。「なんか足、速くなった気がする」と。当の本人の僕自身もそうおもっていた。こいつは、すごい発見しちまった。もしかしたら、1位になれるやもしれん。と。わたしたち二人は、その走り方を「つまさき走り」と命名し、下校時に「つまさき走り」スタイルで帰り道をかけっこしては、その効果を実感していた。午後二時すぎに、片田舎をT1000のようにつっ走るわたしたちの姿はさぞかし異様に見えただろう。
運動会当日、わたしはそれまでの運動会では感じたことのない自信を感じていた。
気分はもはや、ただのデブではない、走れるデブである。
おなじようにすこし太めだったライバルのサカモトくん(本当はあんまり太っていなかったかもしれない。勝手にライバル視していたのだ、ぽっちゃりだったから。)に対する優越感といったら、もうひどいもんである。
「俺はおまえよりはやいぜ、だって「つまさき走り」だぜ。とおもっていた。これも、小学校4年生の自己認識の甘さがなせる業である。
そんなこんなで、ここまで読んでくれた人の大部分がきづいているとはおもうけど、気結局のところ、徒競争の結果は、さんざんなものだった。6人中5位だったからだ。
みなさん、「つまさき走り」なんかしても速く走れませんよ。
練習あるのみです。
大人には運動会がない、まったく最高である。
コメント