言い放ってみて気づいたのは、受け止める人がいない言葉の行方である。ほら、また口から漏れる独り言。別に、それを取り締まる法律なんてないんだから、口に任せてはかせときゃいいのに、自制してみたりする。わるくはないがよくもない。
 
今日は小学校のときにかっていた犬の命日だ。

 そんなこと、いまも覚えてるのはおかしな話だけど、小学校二年の今日、家から帰ってきた僕は、母親にその犬が死んだことを知らされた。その時間、母親が家にいるのは、めずらしかった。たまたまパートが休みだったのかもしれない。

たしかに、外に首輪をつながれたまま、黒いものが横たわっていた。

 あの犬が何歳で死んだのかは、わからない。道端でひろってきた雑種だったから、誕生日も、うまれた年もわからなかった。うちに来たときには、もう子犬じゃなかったのだ。 
 
その日が印象的だったのは、僕が生まれてはじめてステーキを食べた次の日だったからだ。金持ちの家じゃなかったので、それまで分厚い肉を食べたことなかった。この日が給料日でもないし、本当に不思議な話だけど、父親が6月1日に「ステーキが食いたい」といって、次の日には食卓にステーキが出た。でも、僕は、全部食べ切れなかった。欲張って頬張って、すこし噛んでから満腹にきづいたからだ。きたないけど、最後の一切れは、お皿に出してしまった。涎のついた肉をみて、また口に入れるのはすこしいやだったけど、もったいないと思った。だから、ロンにあげることにした。ロンっていうのは犬の名前だ。
 
 皿をもったまま外に出て、冷えて白くなった脂身や唾液まみれ肉片を、噛み痕のある赤いプラスチックのプレートにいれた。ロンは、ぺろぺろと舐めたあと、口にいれていた。すこしいいことをしたような気がした。ステーキを食べるなんて、お金持ちの犬くらいだ。ステーキと犬の死に、因果関係があるのかわかんないけど、無関係じゃない気がする。
 
 小学校二年のときの六月三日の夕食は、「やきそば」だった。僕は、ごはんを食べた後、母親が食器を洗うのを待って外に出た。そのあと、犬の死体を麻の袋に入れて、軽自動車のトランクにのせたあと、となりまちとの境にある橋に行った。川に捨てるためだ。
 橋に行くまで、うきうきするわけはなく、もっとやさしくしてあげればよかった、とおもった。やっぱり涙がでた。喉がひくひくするくらい泣いて、車が橋の中間で停まったあと母親と一緒に、川にロンの死体を落とした。
 
それから三日間、かなしい気分はつづいたけど、
一週間もせずに立ち直った。
 
それからも犬や猫を飼ったけど、
ペットが死んで泣いたのは、二十五年間でそれだけだ。

あんまり動物にやさしくしたこともない。

そんな独り言。
でも、書いてしまうと独り言じゃなくなるのかな。

というのは全部うそだ。
  

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