出版社 / 著者からの内容紹介
「わたしはどこの者か? わたしは子ども時代の者だ」『夜間飛行』『人間の大地』などの作品で国内外で高い評価を受けた、サン=テグジュペリ。彼が唯一、子どもたちに向けて書いたのが『小さな王子さま』である。
ナチスドイツのフランス侵攻に際し、苦渋の選択の結果、サン=テグジュペリはアメリカへ亡命した。母国に、無事を気遣う多くの人びとを残して。なかでも、もっとも心を痛めたのは、ユダヤ系で年長の親友、レオン・ヴェルトの安否だった。『小さな王子さま』は、この親友へ捧げて、1942年の夏にアメリカで書かれた。数年前からカフェのナプキンや紙切れの上に繰り返し現われた、不思議な服を着た子ども「小さな王子さま」を、「機械工のような正確な手つきで子ども用の小さな絵筆を熱心に動かし、はみ出ないようにと舌先をのぞかせ」ながら描き、友への思いをこめて執筆されたこの宝石のような物語をのこして、サン=テグジュペリは、北アフリカの戦列に復帰。翌年、この、子ども時代の国に棲みつづけていた作家は、偵察飛行中に、地中海上空で消息を絶った。
〈心で見なくちゃよく見えない。大切なことは目には見えないんだよ〉〈きみのバラをそんなにも大切なものにしたのは、きみがきみのバラのためにかけた時間だ〉〈きみは自分が飼いならしたものに永遠に責任を負うことになる〉 サン=テグジュペリの小説世界を品格ある日本語で届けてきた山崎庸一郎による翻訳に、物語にかくされた秘密を読み解く丁寧な読みのヒントを、図版入りの註として付す。


2007年も、もう残りわずか。

今年は、学業や仕事の面から見るなら、何の進歩もない一年だったのかもしれない。むしろ、去年の今頃に出願したカナダの大学院に落ちたこともあって、いますぐ留学するというのはあきらめたりしたし、英検を受ける時期以外には、ほとんど英語の勉強をしていないし、就職もしてない。
いまだにレンタルビデオ屋のカウンターで働いているのだ。

ただ、そう書くと、とても不幸せそうだけれど、そんなこともない。
むしろ、けっこう幸せな気がする。
 
いまはすごく大切にしたい人がいて、その人のために時間を使うのがとてもうれしい。
その人のために使う時間が自分のためみたいな感覚。

2・3年前はちがったとおもう。「世界の中心で愛を叫ぶ」みたいなドラマも、昔、大学にいたときに居酒屋で見たときは、へたれ顔で走る山田君を見て心の底から爆笑できたのだ。

それをみていて思ったのは「うわー、かわいそうなヤツだな。」ってことだ。

でも、実際に恋愛してみて発見したのは、ひどく深みにはまっている自分だった。

最近は、いちいち感情移入していて困る。
たぶん、彼女が死んだら、おれもヘタレ顔で走るだろう。
そして、わざわざ、オーストラリアまで灰を撒き散らしにいくかもしれない。
それぐらい、ずぶずぶと肩まで深みにはまっている。
最近は、昼にやってるウンコみたいなクソドラマでも泣けるのだ。

スーファミでマリオやったり、一緒に買い物したり、ごはん食べたり、寝たり、働いたり。
時間を重ねるごとに、大切に思えたりなんだり。
共有した時間分、自分のなかで、その人の存在が特別になっていく気がしてしまう。
そういうのも恋によってるだけなのかもしれないけれど、もしそうだとしても、今みたいな気持ちを忘れずに、ずっと彼女を大切にしていきたいとおもう。

いま疑問に思うのは、どうして新婚のときに熱々だったバカップルが、いつの間にか冷めきっちゃうのかなってことなのです。

こういうオノロケみたいな文章をのせるのはふさわしくないのかもしれないけど。
もし不愉快だったらごめんね。というか、はずかしいよね、こういうくさいのって。

追記
「星の王子様」、はじめて読んだのだけど、とてもいい本です。

たぶん、むずかしいんだろうけど、嫌だなって思う部分が愛せないのは、
その人より自分を大切にしている証拠だとおもう。

なんちゃって。お前が愛を語るな俺。

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