リトル・ミス・サンシャイン
2007年12月3日 映画Amazon.co.jp
どんな人にも、コンプレックスや他人には言えない秘密がある。映画のキャラクターは、それらを大げさに描きつつ、共感させるものだが、本作は、このパターンを完璧に実現した好例だ。ビューティ・コンテストに出る夢を持つ9歳のオリーヴが、「リトル・ミス・サンシャイン」というコンテストに繰り上げ出場することが決定。家族はミニバスを借り、会場のあるロサンゼルスを目指す。ヘロイン中毒の祖父や、一言も口をきかない兄、ゲイで自殺未遂を起こしたばかりのおじさんなど、問題だらけの彼らには、予想どおり波乱の道中が待つのであった。
オープニングの食事シーンだけで、家族全員の性格と役割が伝わってくるなど、演出と脚本、演技のすばらしさに感心するばかり。故障したミニバスを押しながら発進させるシーンに象徴されるように、家族のチームワークが余儀なくされるにつれ、それぞれが問題を乗り越えていく姿は観ていて微笑ましい。走る車内にカメラを据えるなど、低予算ならではの凝った映像も見どころ。強く美しい者が優れているという、現代アメリカ社会へのアンチテーゼも込められたラストは、家族の絆と各キャラへの愛おしさが最高潮に達し、目頭が熱くなる。笑いとともに人間への愛を見つめた秀作。(斉藤博昭)
とりあえず上のレビューに共感。
この映画を見て、何の共感も出来ない人がいるのかわからないけれど、そういう人たちはきっと満ち足りていて、とても幸せな人生を送っているんだとおもう。100パーセント肯定的な意味合いで、うらやましい。
ただ、逆に、つまらないんじゃないかなぁ、とおもう。
誰かの苦悩、ってやつは、「ざまあみろ」と思わせることもあれば、感動的でもあるからだ。目の前の状況に対して、なにかをしたいとおもわせるからだ。そいつが自分の身を切るほど切実であればあるほど、苦悩の傍観者って役割から、遠ざかりたい欲望が生まれるとおもう。
どうしてなのかわからないけれど、それを見た自分にも「苦しい」と感じる部分があって、そいつを取り除きたい気分になる。
それでも、どうしたらいいのか。わからないから何もしないこともある。なにもできない、役立たずな気分になったりする。もしくは、どうしたらいいのかわかったつもりで、ありがた迷惑な行為をしでかすこともあるとおもう。良心的な人間がいつも、周りにとって良心的な結果を残しているとは限らない。
「リトルミスサンシャイン」はとてもいい映画だ。
僕は、オリーヴのダンスシーンであほらしいなぁって笑いながら、泣いていた。ひさしぶりにわけのわからん感情を味わった気がする。家族がみんな、ほとんど的外れなやり方で、励ましたり踊ったり、抱きしめたり、一生懸命、やさしくしたいと思っていたからだ。
疎外感とか、大切な人をなくしたときや好きな人に愛されないときの悲しさとか、エロ本を買うのを知人に見られたときの恥ずかしさとか、見た目のコンプレックスとか、やりたいことをあきらめさせるような挫折とか、勝者と負け犬といった見方しかできない寂しさとか、傍から見てどんなにちっぽけに見える苦悩も、抱えている当人にとっちゃ、全然ちっぽけじゃないとおもう。
個人的には、その人たちを大切だとおもったら、時間をかけてでも理解してあげたり、どうにかしてあげたいとおもう。
そうじゃないと、自分ばっか愛してちゃ、すごくさびしいとおもう。
恋愛とかに限らず、家族とか、友達とか。どうにかしてあげたいとおもったときに、もしかしたら失敗するかもしれないけれど、空回るかもしれないけれど、何かしたい。
「リトル・ミス・サンシャイン」はそんなふうに思わせる作品でした。
実際、どうしたらいいのかわからず、おろおろすることが多いからかもしれません。
監督は、スマパンの「1979」や「Perfect」やレッチリ「By The Way」のミュージックビデオを監督していた夫婦らしいです。
映像もいいですが、脚本がとてもいいので、よかったら見てみてください。
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