内容(「CDジャーナル」データベースより)
ロックンロールを追求し、骨太ながらもカラフルなサウンドに仕上がったセカンド・アルバム。リズミカルな歌詞、サウンドのアイデアからあふれるオリジナリティに一層磨きがかかった作品。


ローザ・ルクセンブルグを知ったのは、youtubeでボ・ガンボスの映像を見たからだったとおもう。そこでみた動画は、テレビの画面をビデオカメラで撮影したもので、「橋の下」だった。手持ちなのか、ひどくぶれた映像だった。動画をアップしたひとは、ビデオを持っているくらいだから、リアルタイムで聞いていたんだとおもう。

すごいよかった。

でも、あまりお金もないし、購入できなかった。で、先週、姉に誕生日プレゼントでくろいジーンズを買ってもらったときに寄ったタワレ子で、「Snoozer」のディスクガイドを立ち読みしたら、このアルバムが上位になっていて、やっぱりいいのかなぁ、とおもって家に帰り、あらためてくるりの岸田さんのカバーなどを見て、買うことにした。

今日、とどいたのだ。
そんなこんなで聴いてみて感想。

とりあえず、「橋の下」みたいな曲を想像していたぼくは、「デリック物語」などの、ラップのないレッチリみたいにファンキーな曲に驚いた。ああいうのって、スライ・アンド・ザファミリーストーンの80年代的解釈かな、レッチリの白人的な解釈とローザルクセンブルグの黄色人種的解釈、どちらもパンク・ハードコア文化を通過後にファンクロックの領域にアプローチしてるけど、黒人のファンクミュージックとは、どこか違うという意味でふたつの音楽は似ているのかも。
ジョージ・クリントンみたいに粘着的にひとつのグルーヴを意識しすぎてなくて、すき。

それでいて、「橋の下」のようなうたには清志郎みたいな生活感がある。「橋の下」は、その生活感がさびしくてどこかかなしい幻想的な曲、ヴェルヴェッツの「I’m Set Free」に日本の叙情性持ち込んだみたいな感じ。
でもね、ぜんたい、村八分のような独創性のある日本語詞が、メロディにのっかっていて気持ちのよいロックンロールになっているのです。おどれます。

変なだなぁ、っておもう曲もあるけどね。
「テレビ28」、「フォークの神様」はいまのところいまいち苦手です。

ニューウェーヴ好きにもおすすめ。
すっごいいいので聞いてみてくださいな。

追記
きょうは彼女とやまねこ軒に行った。とてもおいしかった。
また行きたいね、という話をした。先生の村上春樹本をやっと購入した。

おもろい。

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